2013年8月28日水曜日

博物館であそぶ

府中工房 修復家 堀江武史

縄文文化は素晴らしい。でも、一般の人には遺物の展示だけでは相変わらず振り向いてもらえない。ならば、と始めたのが博物館での現代美術と縄文遺物の併置展示でした。客の入りが爆発的に増えたわけではないけれども、ふだん絶対に縄文遺物なんかみない、というお客さんが何人も来ていました。博物館はいつも同じ、という来館者の思考を裏切り、気づきを楽しんでもらう。ある時、こういう企画の話を考古学担当者にしたら「あなたのやっていることはあそびであり、お金なんて出せない」と言われてびっくりしたことがあります。この一件以来、私は自身の活動をあそびと認め、博物館でのあそびを正当化しようとムキになっているところがあります。自分はあそびの対局にある、なにか果てしなく高尚な人とモノに負け戦を仕掛けているのではないか、と思うこともありますが、何せこういうことが好きなものですから、へこまずに続けているのです。

だれもが楽しめるミュージアムとはどんなものなのか。これを議題に掲げたユニバーサル・ミュージアム研究会で私は小山修三さんに出会い、お人柄に甘んじて、言いたいことを言わせていただいております。

過日、研究会の中から仮面づくりのワークショップができないかという声があがり、縄文仮面を連作していてワークショップのファシリテーターの経験もある私がプランニングを任されました。場所は世界の仮面が集まる「みんぱく」が最適です。私がワークショップや体験実習を考えるときに大事にしているのは、その場でしかできないことを、その場の担当者と共演してオリジナル・プログラムにする、ということです。各地の博物館は展示物が違うのに似たような体験プログラムを用意して来館者を待っているのが一般的です。専門家ではない来館者にしてみれば博物館はどこも一緒。所蔵品を活用して、ここでしか味わえないものを用意することは重要です。以下は「博物館であそぶ」プログラム。できたらいいな、という私の希望です。


『みんぱくで変身! セカイの仮面とワタシの仮面』(企画案)

対象は子どもから大人。視覚障害者も歓迎。募集人数20名

第1部「お気に入りの仮面を探し出す」 展示室 2時間

みんぱくは広いし展示物は多様。仮面をみつけるのも大変だ。視覚障害のある方には場所への誘導をおこなって触ってもらうが、晴眼者は自力でみつけてもらう。仮面を探しながら様々な民族資料とも対峙し、ゆったりとした時間を過ごす。気に入った仮面はデジタルカメラで撮影してもらう。

第2部「仮面の秘密」 多目的室 1時間

各自がお気に入りの仮面を紹介し、仮面に詳しい吉田憲司さんの解説(作られた場所やカタチ、素材だけではなく、使われた背景、風習など)をいただく。次に続く仮面づくりを、単なる工作に終わらせないための重要な手掛かりになるはず。

第3部「仮面をつくる」 多目的室 1.5時間

いろいろな素材を使って自分の仮面をつくってもらう。このとき私は素材や用具の説明、製作上のアドバイスは行うが、参加者それぞれの「物語」を大事にしたいので、あまり口出しはしない。工作体験ではなく、あくまでもワークショップ。参加者ひとりひとりが作り方を考え、持ち寄り、完成させる。

第4部「仮面をつかう」 展示室ロビー 0.5時間

使ってこそ仮面。全員が装着したまま、祭り、鎮魂などをイメージしたプロの打楽器演奏を聴く。楽器は館の所蔵品を使う。これは端から見た光景が異様で儀礼を想起させるし、装着者は心象風景に何らかの変化が表われてくるものと思われる。踊る人が出てくることを期待。他の来館者に見てもらうのはワークショップのPRにもなるから。時間があれば私の仮面一面を触ってもらい、それが登場する3分ほどの映像(匂い付き)を上映したい。音楽はあるが無声なので、状況説明の得意な研究会の人にライブでつたえてもらう。

以上が参加者と行うワークショップです。

「セカイの仮面とワタシの仮面」の展示

作った仮面をどうするか。できればしばらく館内に展示したいものです。私が強く希望するのは、お気に入りの仮面(過去の仮面)と「ワタシの仮面」(現代の仮面)を併置する、ということ。時空を超えてつながる人間の仮面への思いを展示したい。

しかしこれについては、かつてみんぱくで講演した民族学史家のジェイムズ・クリフォード氏が知ったら眉をひそめるかもしれません。また、みんぱくで美術展を行った美術家のエル・アナツイ氏からも賛意は得られないでしょう。プリミティヴなものと現代の作品はそれぞれ別個に敬意が払われるべきだというのはよくわかります。民族学も美術もそれぞれが高い垣根を築いている。こういう展示は現在のスタンダード・モデルであり、否定のしようもありません。ただ、ジェイムズ・クリフォード氏の考える「展示」、エル・アナツイ氏の作品を実際に作っている人たちの「心境」までを想像すると、どうも面白味に欠けています。「あそび」がない。「貴いもの」とあそんではならない雰囲気。これはそっくりミュージアムの現況に当てはまる。この方法論のままミュージアムを活性化しようとすることに無理はないだろうか、と私は思います。

博物館資料と作品の併置には十分な配慮が必要ですが、資料を貶めるという理由がないのなら、現代人が共鳴して作ったものをわずかな期間だけでも併置することは許されてもいいのではないでしょうか。自分が作ったものが博物館に展示される喜び。自分の作品と再会するために展示室を訪れて、自分の作品だけみて帰る人などいるでしょうか。出品者は家族や友人を伴って来るでしょう。その場でもし出品者が隣の民族資料の解説をはじめたら、それは少し褒められるあそびになった瞬間です。同時に、博物館と市民がつながった瞬間でもある、と考えていますが、それは私の思い込みなのでしょうか。これを一過性のものにせず、継続していけばミュージアムへの親しさは増すだろうし、市民からの新しい提案で「次」が出てくるかもしれません。

ミュージアムが来館者の目線にどこまで合わせられるか、わがままに付き合えるか。ミュージアムの活動の一つである「教育普及」が、組織内で「研究」より「下」に見られていることはありませんか?そうだとしたら、まずい。来館者への刺激、気づき、考えることへのみちびきを真剣に考えた結果が「あそび」といわれてしまうかもしれない。でも、一般の人はあそんでくれる人、あそべる場所を応援するものです。ミュージアムが支持される要点がここにあるように感じます。展示物を「貴いもの」と位置づけて大切にしているミュージアムが、どこまで「あそび」を許してくれるのか。按分の妙に期待しております。


*写真は、民博オセアニア展示の仮面コーナー。
もちろん、ほかにもたくさんの仮面が展示されています。