2015年3月27日金曜日

第4回 梅棹忠夫 山と探検文学賞決定

小山修三が委員長をつとめる”梅棹忠夫 山と探検文学賞"に、中村哲氏の『天、共に在り』(NHK出版 2013)が選ばれました。この賞は2010年に創設され、今年で4回目となります。
下記サイトに委員長の講評が掲載されています。

http://umesao-tadao.org/4th.html



(こぼら)

2015年3月21日土曜日

丹波縄文の森塾


2002年の春、みんぱくを定年退職したので家でのんびり寝転がっていたら、とつぜん河合雅雄先生から電話があった。丹波の森公苑で「子供たちを森にかえそう」という企画をやるので手伝ってくれないかという。最近、縄文は自然とよく響き会うようになってきたからね、だからはじめに縄文人の生活を紹介し、山、森、川で自由に遊ばせ、自然を愛し、楽しむ心をそだてようと考えている。30人くらいの子をあつめ夏休みに2,3日のキャンプをやりたい、ということだった。この公苑は笹山市の北、丹波市柏原町にあり昔ながらの町並みと田園が残る地帯にある。環境としては絶好の地だ。

しかし、子どもの扱いは経験がないので大変だった。まず縄文はまだ小学校で教えてないのでわかっていない。マスコミの聞きかじりでなんとも大昔のことだ、くらいのものである。だから、かれらの生活や作品を語ろうとすると一ひねりいる。たとえば、「縄文人がつくるめん類はソバがラーメンか。答=ラーメン、醬油がないし肉好きだから」、「縄文人の神さまは?答=ヘビ、土器におっぱい模様が描かれている」といったぐあいである。真面目にやりすぎると付添いのお母さんがよろこぶだけ。
縄文のおはなし
ものづくりには力を入れた。メインは土器つくり。焼成は落葉や小枝、刈り取ったススキなどをつかうという実験的試みをやった(縄文人がふんだんに材木を使うとは思えないからである)。土器焼きはキャンプファイアーの場となる。

土器をつくる 指導は陶芸家の宮本ルリ子さん

土器焼き はじめゆっくりあたためる

土器焼き クライマックス!
土器が焼き上がったよ
手作業のものづくり。Tシャツやハンケチに縄文のデザインをプリントしたり、描いたり。草木染。弓矢、おはし、おわんなどなど、はらはらしたがおもいきってナイフを使わせた。作ったものを使っていくのはたのしくためになる。

縄文Tシャツ(2005年)

縄文服に挑戦したことも

縄文Tシャツ(2010年) 前衛芸術のようだと感心する塾長




矢をつくる
自分でつくった弓矢で遊ぶ
火おこしに挑戦 (@年輪の里 火おこしの道具も自分たちで制作)
遊びの基地づくりのために、公苑内の木を伐って運ぶ

食事は基本的にはボランテイアーとサポーターのおばさんたちが頼りだった。しかし、野草類や町人が持ってきてくれたシカ肉を焼きそばにいれたこともあった。役所のイベントとしては思い切ったことをやったものだが、河合先生の学識と里人の実践的な知恵が技術がよくいかされていたので、事故もなく成功したのだと思う。
ながしそうめん
これらのことをまとめた絵本『縄文冒険BOOK』をさかいひろこさんがつくってくれた。いいガイドブックになった。
私自身も教えられ楽しんだのは、オオムラサキの飼育、植物観察、バードウォッチ、夜の灯に集まる昆虫、川遊び(珍魚キシニラミをすくいあげたときは感動した)、池でのイカダ遊びなどで、忙しすぎるほどの出来事が詰まっていた。

水生生物の観察(@武庫川 2005年)
縄文の舟(復元)にのる(@鳥浜 2006年)
   
てんぷく丸で遊ぶ(@森公苑 2009年)
ツリーイング (ロープをつかった木登り)

現在では夏のキャンプだけではなく、1年を通じたプログラムとなっている。コメを植え、刈り取り、脱穀までして蒸してたべるので、日ごろは何気なく口にしているコメをたべるまでのプロセスを体験できるのである。またオオムラサキやクワイは吹田市立博物館とのコラボがおこなわれ他地域とのネットワークを広げている。これからのこのような交流はますます盛んになるだろう。

早いものであれから13年。まだ小さかった塾生がサポーターとなって手伝いにきてくれるのはうれしい。わたしはここ2,3年体のバネなくなって子供たちと一緒に遊べなくなった。自然の中で体をぶつけ合って遊ぶのがいちばんいいと思うので滋賀県の考古学者、鈴木康二さん(広瀬さんの「さわって楽しむ博物館研究会」のメンバー)が適任と考え後をお願いすることにした。一抹のさびしさはあるが、すてきな地域おこしのプログラムに参加できたのは幸せだったと思っている。



(小山修三)

2015年3月6日金曜日

視覚障害者と絵画:色彩の知覚とイメージ


みんぱくの共同研究「触文化に関する人類学的研究」(代表者広瀬浩二郎)の最終研究会が国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館でひらかれた。期間は2月28日・3月1日の2日間。

この研究会は私が吹田市立博物館の館長だった2006年に「さわる―五感の挑戦」を開催したとき広瀬さんにアドバイザーをお願いしたことがきっかけとな り、その後、文科省科学研究費補助金やみんぱくの公開シンポジウムや共同研究を継続的におこなってきたので、成果の数も多い(広瀬 編著『さわって楽しむ博物館』2012など)。ふつう、博物館では展示品に「さわる」ことはタブーにちかいが、この常識に反してあえて「さわる」を押し出した展示を具体的につ くることが目的の一つだった。

さわる展示物に適したものはなにか。はじめにとりあげたのは陶芸だった。視覚障害者に取り付きやすく、費用や時間の面でも製作が簡単で、それをイベント化 して、展示を構成するという形が考えられるからである。とくに滋賀県立陶芸の森において宮本ルリ子・三浦弘子さんの企画によるメンバーの作品を構成したイ ンスタレーション的展示にはあたらしい可能性を感じた。ほかに、林の中で動・植物にさわる(美濃加茂市民ミュージアム)、考古学の遺跡にでかける(陸平貝 塚体験ツアー)、観光町歩き(宇治市)などのたくさんの企画があがり実行された。

「さわる」を押し出すと普通は視覚障害者が対象になるのだが、一般論では「オキノドクニ」、障害者側は「コンナコトデイイノカ」というクレイマー的論が主 体となりがちである。しかし、この研究会の討議の中から生まれたのは全体の体感こそ重要であり、そこには障害者・非障害者の区別はないのである。すると、 博物館の役割は良きオリエンテーションの場として考えるといいのかもしれない。広瀬さんの主張する「さわる」という(非障害者がないがしろにしてきた)未 開拓の世界が今、開かれつつあることを実感じた。

こうした一連の動きの中で、これから取り組んでいかなければならないのは「絵画」ではないかと思い始めた。視覚障害の絵画に対する興味は意外と強い。モナ リザや浮世絵を凸インキやレリーフであらわす手法の開拓はずいぶん進んでいるが、欠落しているのは色彩である。彼らの中でも生まれつきの全盲、いつ失明し たか、弱視、色覚異常などの差があるが、(たとえ言葉だけにしても)色をどう知覚しイメージしているかが私にはまったくわからない(あるいは極めて個人的 なものかもしれない)。しかしこの研究会での対話を通じてその道を開いていくことは不可能ではないと思う。個人的にはフォルムを単純化し、色彩を限定した モンドリアンの絵を考えるのがいいのではないかと思っている。

(小山修三)