2016年12月29日木曜日

こんな本を読みました: 吉良文男 2016『茶碗と日本人』 飛鳥新社


茶碗で飯を食い、湯呑で茶を飲むとは、こわいかに?こんなシンプルな疑問からはじめて、吉良さんは茶碗を道しるべに日本人の美意識という混沌とした世界に案内する。在野の研究者と本人が言うように、アカデミックにかたまっていないことがかえって読者の想像力を刺激する。
まず茶道について。わたしも時に茶会に招かれることがあるが、「作法が・・」と断ると、「自然体で茶を楽しめばよいのです」と言われる。ところが、行ってみると、座り方、器の扱い、飲み方、お菓子の食べ方まで、しっかり決まっていて居心地の悪いことおびただしい。夏目漱石が因循姑息と切って捨てたことが「西洋かぶれ」の後輩としてよくわかる。
そして茶碗。ふつうの美術史では作品のサイズ、色、素材、産地などに明快な基準を置くが、一見もっさりした茶碗はその枠を大きくはみ出している。
 
日本は12世紀ころから政治の主体者が貴族から武士=農民の社会へと移っていった。下剋上といわれる混乱した過渡期(鎌倉、室町、戦国時代)には、倭寇の記録が示すように朝鮮半島から南中国を中心に東アジアの海域にまで進出していった。旧い政治理念と形態(律令制)が崩壊して封建制(大陸には現れなかった)をうち
たてて、ふたたび統一されるのは信長、秀吉によってだった。茶道が確立するのはまさにこの安土桃山時代であった。新興の支配者たちを支えたのは、市場を海外にひろげてすごい経済力をもつ商人だったことは、堺や博多に拠点を持つ千利休とその仲間だったことからよくわかる。

茶碗に私たちが惹かれるのはなぜだろう。欠けたり、ひび割れた茶碗、大量生産の輸入雑器とまだ洗練には遠かった日本製の陶器をことさらにとりあげ、高い価値をつけた。その基本理念であった「全きものはよからず」という言葉は、中国至上主義の旧体制を否定し、新しい社会のあり方をめざすプロパガンダだったのである。

同時代の宣教師がなぜこんなものが日本では千金の価値を持つのか不思議がったそうだ。その謎をときには文化人類学者の意見が有効である。1つは、たとえばオセアニアの巨大な石貨である。それを持つことは所持者の権威と豊かさをしめすという経済観。モノの価値は数字だけでは決まらない何かがあるのである。もう1つは、それぞれの民族には独自の美意識があること。吉良さんは福井勝義さんが指摘したアフリカの牧畜民ボディ族がもつ牛の毛の模様と色に対する認識が参考になると述べている。文化にはそれぞれ異なる価値観があり、それは他者には容易には理解できないものである。

日本の現代人は西洋文化の枠に縛られすぎているのではないか。吉良さんはかつてゴッホやピカソが素晴らしいと思っていたらしいが、そのうち見るのが息苦しなってきて今では素朴な手捏ねの茶碗に心安らぐようになったと言う。もっとも、文化枠を超えて通じる美というのがあるのかもしれない。司馬遼太郎さんはそれが文明だといった。これまでの茶器研究者の努力の積み重ねはようやく茶器をその域にまで上げて来たといえるのかもしれない。
天目は中国産だが世界に3つしかなかった。耀変は中国では雑器だと考えられていたのだろうか。

(小山 修三)

2016年12月25日日曜日

ゴハンのおいしい町、観音寺


年の瀬はパーティのシーズン。先週は梅田で乙部順子さんの『小松左京さんと日本沈没 秘書物語』の出版を祝う会がありました。そこにいた小松さんのお孫さんの話。

「運転免許をとりました、香川県カンオンジ市で」。目がテンになったのは、ここ数年私が「観音寺市ふるさと応援大使」をやっているから。

「なんで?」と聞いたら、「最近、2週間ほどの集中合宿をして、運転免許を取るのが流行っているんです。ネットで探したていたら‘ゴハンがおいしいまち’とあったので」と言うのです。今は、地方創生の時代、あらゆる魅力を掘り出して、町おこしにやっきになっています。しかし、香川県ならウドンでわかるけど、ゴハンとは。

むかし、「小松さんを講演に呼んでほしい」と市役所にたのまれ、説得に大変苦労したことをおもいだしました。「きみのおじいさんを呼ぶのはたいへんだったのよ。それなのに、呼びもしないのに、若い女の子が来るとはねー。つぎはおむこさんをさがしてみて」と言いました。
毎日の食がおいしいこと、それが基本で大切であることを考えさせられました。

(小山 修三)

2016年12月14日水曜日

飛騨ネギ


年末になると飛騨の居酒屋さんがヒダ葱をおくってくれます。ぶっとくて食べごたえがあるし、いいのはスーパぐらいではみつかりません。知人にも分けて、焼いたり、グラタンにしたりいろいろ楽しんでいます。ネギはよく食べるのですが、もったいなくてうどんの薬味とかにはしない。薬味は関西では青い部分、関東では白い部分とちがうんですねー。

NHKの「ためしてガッテン」でネギの特集をやってました。昔から、そして世界中で、薬をはじめいろいろつかわれているのですねー。うーん懐が深い。明日はスーパーに行ったらないのではないかと心配です。

(小山 修三)

2016年12月9日金曜日

ふるさとの味、日本酒


ふるさとがなんでこんなに気になるのかよくわからない。記憶の底にあるからだろうか。

今、「季刊民族学」の特集で日本酒をやっているので、ふるさとの酒を思い出した。昔は、私の町観音寺とその周辺(香川県三豊郡)には8軒もの酒造所があったが(ウチもそうだったのだが)、今では川鶴酒造1つしか残っていない。コメが素材なので戦時中から統制が厳しくなり、その後はビールなど洋酒に押されて全国的に酒屋は厳しい道を歩んできたからである。

それでも川鶴さんは頑張っていて、最近の地酒ブームにのっているのは立派だ。フェイスブックを見ると、若い女性の杜氏が張り切ってやっているのだが、横から見るとハラハラもの。なんとか最後の絞りまでこぎつけた、よくできたと社長さんが涙した、とあった。

飲みたくなってと注文した。たまたま、うどんとダイダイを友達から送ってきたので酒肴讃岐尽くしになり満足した。

というわけで今晩も酒盛り。おかずはアジの干物とつけもの。これがあのころの肴、だったのかと思うんだけど。といってるうちにまたのみすぎみたい。酒に弱くなったもんだ。

(小山 修三)