2017年4月24日月曜日

こんな本を読みました 鈴木七美 2017 『アーミッシュたちの生き方―エイジ・フレンドリー・コミュニティの探求』国立民族学博物館調査報告141

鈴木七美 2017 『アーミッシュたちの生き方―エイジ・フレンドリー・コミュニティの探求』国立民族学博物館調査報告141
価格:みんぱくミュージアムショップにお問い合わせください(近日中に入荷予定)、
https://minpaku.repo.nii.ac.jp(みんぱくリポジトリ)にてpdfをダウンロードできます
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/index.php…

アーミッシュとは現在でも馬車を使い中世風の衣装をまとい、現代のテクノロジー(自動車、電気、テレビ、電話など)を否定して暮らす一風変わった宗教的集団だが、その存在はハリソン・フォード主演の映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」で知っていた程度だった。この集団のルーツは16世紀のヨーロッパの宗教改革運動にある。そのなかにアナバプティスト(再洗礼派)と呼ばれる、「聖書の教えを道標として生きよう」とする集団があった。しかし、その過激なまでの信条は、意外にも反社会ととられ、国家だけでなく他の集団との間にも激しい軋轢を生じて迫害されて移住を余儀なくされた。そんな集団を受け入れた場が新世界の北アメリカ、なかでもあのメイフラワー号が到着(1620)したペンシルバニア州を中心とする中西部地域だった。

彼らの生活は農牧業を基盤に、贅沢や便利さを排した質素で自律的
な生活を営むこと、大家族主義をとり、個人所有を否定し、平和主義(非暴力)を貫き、独自な教育を行ってwell being(よい生)な生活を送ることを目指している。ところがそれは、なんとも窮屈な主張で、例えばジョン・ブックの映画でも、日常的におこるいじめや恋愛などについてこれほどまでに頑なでいいのか、ということがストーリー展開の味付けになっていることからもわかる。

しかし、彼らも現代に生きるもの原理主義だけでは、難しく古い信条を遵守する、テクノロジーを受け入れる、およびその中間派の3つの流れに分けられるという。そんな中でも彼らは根気よく話し合い基本を貫いている。おいしい自然食品をつくり、アンテナショップで販売して人気を博し、それがさらに発展してフェアトレードの動きをおこした。また小規模で年齢で分けないホームスクールは問題のある子どもたちに有効であることや、非暴力で兵役を拒否しても消防やメンタルケアなどの危険で難しい仕事に就くという方法を編み出した。とくに老人や障碍者の生活を守る施設やケアの在り方は現代社会の傷口をいやす具体的な提案となっている。ここに鈴木さんは注目しており、それが本書の主題である。鈴木さんが1989~2016年までおこなってきたアーミッシュ社会での現地調査をまとめたのが本書である。

これを書いていて突然トランプ大統領の姿が浮かんできた。彼はプレシビテリアン(長老派)という比較的戒律の厳しい一派(と聞いた覚えがある)だが、その心情はアーミッシュにも通じていることは大家族主義や、高等教育に対する不信感に基づいていることからわかる(中西部で多くの票を得た理由の1つではないだろうか)。しかし、カネを優先して現生利益を追い求め、他を慮ることなく、贅沢、セックス、離婚、ジェット機、ツイッターなど真逆の生き方になっているのは、人間としてどちらが正しいのか考え込んでしまうのである。

(小山 修三)

2017年4月16日日曜日

ふるさと応援大使のおしごと



数年前に私のふるさと観音寺市の応援大使に任命された。無報酬だが、歴史・考古学はけっこう面倒な分野なのでお願いしたいという。それで帰郷したときに担当者と会っていろいろアドバイスをしている。今回は、朝鮮通信使についての公開講座を開くことになった。

きっかけは四国八十八ケ所68番の名刹、神恵院の山門の扁額について、幼なじみの吉良文男さん*が、あれは江戸時代の朝鮮通信使の随員が書いたもの、大事にしなければという指摘である。子供の頃からみなれたものだが、永年の風雨にさらされ劣化が目立つし、有名になると盗難も怖い。そこで国立民族学博物館の日高真吾さんに3Dレプリカを作ってもらうことにした。今回、その間の経緯を公表することにした。

古来、朝鮮半島は日本との関係が深い。弥生時代までは同じ文化圏にあるとみなせるほどだったし、飛鳥・奈良時代には中国文明の導入に大きな役割をはたした。ところが、室町時代から倭寇の跋扈、秀吉の侵略などによって強い軋轢をおこす。しかし、中国文明が日本の知識の基礎である限り無関係ではいられない。そこで、徳川幕府は公式に朝鮮通信使を受け入れる制度を作ったのである(1617~1811)。庶民は、九州から江戸にいたる華やかな道中行列をみるだけでなく、宿舎に押し掛け、芸術や学問の情報を求め、漢文の手直しや書の揮毫を依頼したのである。観音寺市でもそれに関する資料があるという。それは閉ざされた鎖国の時代に、地方文化振興を願って人々がどんな努力を払ったかを具体的に知る端緒になると考えている。機会がある方々に是非、はなしを聞きに来ていただきたいと願っている。

*このブログ 2016.12.29の記事「こんな本を読みました 吉良文男著『茶碗と日本人』参照

(小山 修三)