2015年2月9日月曜日

こんな映画を見ました「KANO 1931 海の向こうの甲子園」


むかし、阪神タイガースに呉昌征という外野手がいて、台湾のタカサゴ族だから馬力があるんだと聞いて応援していた。そんな四国の田舎の子供が信じていた間 違いだらけの情報の真実とディーテイルをこの映画で知った。あとでネットで調べるともっと情報があってついついハマッテしまった。

あらすじは、草野球レベルだった嘉義農林が昭和六年(1931)、甲子園に初出場し準優勝する。監督は日本人、ナインは蛮人4、日本人3、漢人2という構 成だった。スポーツ映画はダメ・チームが、いい指導者の下にまとまり強くなる、勝つに連れて無関心だったまわりが巻き込まれてゆく、そしてついに・・とい うのが一つのパターンだが、それが爽やかで快い。ところが、この映画には他にもたくさんの要素が入っていて、3時間をこえ、いささか冗長な気もするが、台 湾人として言わずにいられない事実がいっぱいあったからだろう。この映画は2014に台湾で空前のヒットとなったそうだ。

わたしは1973年から3年間、毎夏、台湾で発掘に参加した。台中の山側にある集集という小さな町の中学校の先生の家に下宿して大変お世話になった。当時 の(現在もだが)政治情勢は複雑で、エリートである台湾大学の学生は蒋介石政権がわ、町の人の多くはそれを新しい征服者と呼び、むしろ日本統治時代を懐か しんでいたのにとまどうとともに驚いた。

歴史を見ると植民地時代の政治は当初は確かにひどいものだったが、この映画の時代には一応の安定をみせ、教育や産業(農水路つくりはこの映画にもでる)の 整備をはじめとする技術革新の効果を人々は認めていた。印象的だったのは権力側にいたはずの先生、役人、警察官などに尊敬する人がたくさんいて、日本人の 真面目さ、勤勉さをほめていた。それは、李登輝元総督の発言によくあらわれていると思う。

たしかに、映画の中で日章旗や日本的町並みが現れるとぎくりとした。しかし、それは上からの目線で植民政策はすべて悪であるとする日本の知識人の観念的な 思い込みからくるものだろう(私も多分にそれがあるのだが)。といって逆に日本が恩恵を施したという極楽トンボ的な論にもくみしない。たしかに現実の社会 は複雑で多くの矛盾を内包して一筋縄ではいかないが、主体となるのは住民、彼らが何を受け入れ、何を拒み、何を望んでいるのかを見定めることが必要であ る。それは今のイスラム国の問題も同じであるはずだ。現場にたって問題の真相を探ろうとするジャーナリストや民族学者の任務はそこにあり、そうでありたい ものである。

(小山修三)

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