
六車さんは3年間に大型施設から、「すまいるほーむ」という定員10人ほどのデイサービスをおこなう小さ職場に移って利用者たちと個人的に深く付き合うよ うになった。それによって文化人類学の(長期にわたる)参与観察(パーティシパント・オブザベイション)の理想的な形となり、その記述はM.ミードの『サ モアの青春』やJ.F.エンブリーの『スエムラ』などの古典の雰囲気さえ感じるのである。
日本ではふつう認知症の兆候が現れると、ただちに「患者」として扱う。(これは介護施設の責任ではなく、現在の医療制度の問題であり、とくに投薬がルー ティーンとして早くから手軽におこなわれるからではないか)。しかし、基本的には患者の自主性(個人としての意識と権利)を認めそれを尊重するべきものだ と思う。すでにスコットランドなどではその試みがはじまっているという。
本書では老人たちが語った話が丹念に集められ整理されている。私にとって印象深かったのは、そんな語りがしばしば神話や昔話とおなじ様相をもっていること である。意識の混乱、身体麻痺、薬の副作用に悩む老女の「鉄棒を持った恐ろしい大男とであう」話は『遠野物語』のものとそっくりである。同じ語り手でも時 によって異なることが多いから非科学的だといって一蹴してはならないと思う。同じ現象はギリシャ神話と古事記との時空をこえた相似性にも当てはまる。ま た、お札や精霊流しなどの民間信仰の効用についてももっと考えねばならないだろう。柳田國男に始まる日本民俗学は、民衆に寄り添い、その「全生活」を描き 出そうとしてきた。しかし昔話や故事にふける一面もあって(学問的であるためにはそれも仕方ないのだが)、頭打ちの感も否めない。新しい社会問題をとりあ げ民俗学の技術と情熱を持って挑んでいる六車さんの活躍にこれからも注目していきたい。
(小山 修三)