2015年12月24日木曜日

和風ギムレット


探偵フィリップマーロウがカウンターでギムレットを飲むところがかっこいいと憧れたものだ。日本にはライムがないのであきらめていたのだが、柑橘類はいっ ぱいある。今年は当たり年で、散歩にでると庭にたわわに家をよく見かけるし、ふるさと四国からはユズ、ダイダイ、スダチをたくさん宅配で送ってきたので、 風呂にまで入れた。

レセピーはジン2/3、ライムジュース1/3、シュガーシロップを少し。
ジンを焼酎、ライムをユズ、レーコーのシロップ。

なんのことはない、いつもの酎ハイでした。和製マーロウがかっこ悪いわけだ。

(小山 修三)

写真:四国からおくってきた、橙(だいだい)、和製檸檬(わせいれもん)、柚子(ゆず)、酢橘(すだち)

2015年12月8日火曜日

こんな本を読みました: J. Rockström & M.Klum 2015 "Big World, Small Planet: Abundance within Planetary Boundaries", Yale University Press

著者のロックストローム氏は2015年コスモス国際賞(国際花と緑の博覧会記念協会)の受賞者である。このタイトルを思い切って意訳すれば「地球を守ろ う」だろうか。いま人類は資源を使いすぎている。そうなったのは人間のよりよい生活へのあくなき欲望にほかならない。危機的要因のうち、とくに炭酸ガス、 窒素、メタンの漏出の大きさはいつ滅亡という事態がおこっても不思議ではないという(著者はこのままではあと30年しかもたないといっている)。

本書を起筆した原因は2009年コペンハーゲンで開かれた地球温暖化防止条約会議(COP)で参加国(とくに経済大国)のエゴがぶつかりあって、なんら意 義ある合意がえられなかったことへの反省からきている。一委員として参加していた著者はそれでも「今なら遅くはない」、「方法はあるはずだ」、「やるべき ことは何」か、と前向きに意見を展開していて大変説得力がある。共著と書かれているクルム氏は映像を受け持ち、その効果は抜群である。

著者は49歳、選考委員会で示された講演の映像はルックス、スタイルがよく、まるでテレビ・ショーを見ているようだった。「カッコいいねー、こういう形で 一般大衆に訴える新手だねー」と隣に座っていた鷲谷いづみさんと話した。鷲谷さんは意外にもキャピキャピ感をもっていて、東大をやめて暇になったはずなん だから(そうでもないか)彼女にこの本を翻訳してもらうといいなと思った。

(小山修三)

2015年11月1日日曜日

こんな本を読みました 六車由実 『介護民俗学へようこそ!「すまいるほーむの物語」』新潮社 

介護は今もっとも大きな社会問題の1つであり、これから少なくとも10年は日本国の課題として進められていくだろう(10年でメドがつけばラッキーなのだ が)。かつて、六車さんから大学を辞めたと聞いたときはたいへん驚いた。大学の教員はそう悪い職ではないはずだし、それにもましてイキのいい民俗学者を失 うのが残念だったからだ。しかし、それは杞憂に過ぎなかった。介護施設で働きはじめ、2012年に『驚きの介護民俗学』(医学書院)を出したからである。 それは民俗学の「聞き取りとその分析の手法」を現場に生かそうとする試みで、画期的といえるものだが、方法論の確立が先にたって「学問的」とか「上から目 線」が垣間見えてすこし堅苦しい感がした。本書はそれを乗り越え、具体的に介護のあり方の一つを示していると思う。

六車さんは3年間に大型施設から、「すまいるほーむ」という定員10人ほどのデイサービスをおこなう小さ職場に移って利用者たちと個人的に深く付き合うよ うになった。それによって文化人類学の(長期にわたる)参与観察(パーティシパント・オブザベイション)の理想的な形となり、その記述はM.ミードの『サ モアの青春』やJ.F.エンブリーの『スエムラ』などの古典の雰囲気さえ感じるのである。

日本ではふつう認知症の兆候が現れると、ただちに「患者」として扱う。(これは介護施設の責任ではなく、現在の医療制度の問題であり、とくに投薬がルー ティーンとして早くから手軽におこなわれるからではないか)。しかし、基本的には患者の自主性(個人としての意識と権利)を認めそれを尊重するべきものだ と思う。すでにスコットランドなどではその試みがはじまっているという。

本書では老人たちが語った話が丹念に集められ整理されている。私にとって印象深かったのは、そんな語りがしばしば神話や昔話とおなじ様相をもっていること である。意識の混乱、身体麻痺、薬の副作用に悩む老女の「鉄棒を持った恐ろしい大男とであう」話は『遠野物語』のものとそっくりである。同じ語り手でも時 によって異なることが多いから非科学的だといって一蹴してはならないと思う。同じ現象はギリシャ神話と古事記との時空をこえた相似性にも当てはまる。ま た、お札や精霊流しなどの民間信仰の効用についてももっと考えねばならないだろう。柳田國男に始まる日本民俗学は、民衆に寄り添い、その「全生活」を描き 出そうとしてきた。しかし昔話や故事にふける一面もあって(学問的であるためにはそれも仕方ないのだが)、頭打ちの感も否めない。新しい社会問題をとりあ げ民俗学の技術と情熱を持って挑んでいる六車さんの活躍にこれからも注目していきたい。

(小山 修三)

2015年10月23日金曜日

現代アメリカと東洋医学(その3)


 アメリカには若いころからよく行ったが、私自身病院に担ぎ込まれるようなことはなかったし、友人たちもほとんどがそうだった。頭痛、腹痛の類はアスピリ ンやアルカシェルツァーでしのいだ。ところが、最近はガンに倒れた友人も出て、病気のことがよく話題にのぼるようになり、医学用語をあまりにも知らないの に驚いた。

アメリカの東洋医学に興味を持ったのは数年前にC君に会ってからである。文学を志していたがそれも空しくなりぶらぶらしているうちに日本人の友達をとおし てハリをやることにしたという。大丈夫かいなと心配だったが、今回会ったときは、すっかり東洋医らしくなっていた。いくつかの試験を通り抜け、資格をとっ て自立まであと一歩らしい。按摩、カイロ、指圧、灸などの専門化家と組んで腰痛、めまい、耳鳴り、不眠、肥満、肌美容まで日常的な愁訴を直す費用のかから ない診療オフィスをもちたいという。小さなトラブルには大病につながるものもあるが、いろいろ規制があって投薬(漢方薬でも)はできないと言う(ハラ具合 が悪いといったら葛湯をくれた)。

アメリカ社会にこんな変化がおこっているのはまず医療費の高さと医者が分化しすぎて日常生活とは離れすぎてしまったからだろう。かかりつけのジェネラル・プラクティショナー(家庭医)が必要だという声が上がっているのも当然だと思う。

医療費は保険制度にふかくかかわっている。アメリカの保険は高く、自営業やパート的な自由業では入れない人がおおい。日本をモデルに国民皆保険の制度改革 を目指すオバマ大統領は、すでに保険に加入している金銭的に余裕のある人々からとても評判が悪い。確かに日本の制度は国の負担が大きすぎて、将来の維持が 危ぶまれるという欠陥がある。

両者が共有しているのは西洋医学万能の思想である。それは完全なので「死」などないという幻想にまでいっているのではないか。だから日本では小さなトラブルでも病院に駆け込む、そんな手軽さが医療費をふやし、高齢化の速さがそれを加速させている。

これに対しアメリカは病気は自分で直すという発想が基本で、病院に行くのは、いよいよの時、サプリメントが氾濫していることもそれを示しているし、自然食指向が強くなっているのもその一端を示していると思う。

しかし、東洋医学を公的に認めたことがアメリカ人の西洋医学中心の医療感を変えたといえるだろう。すでに述べたように医療は文化的な縛りがつよく、各国で それを基盤にシステムがつくられている。それを変えるには思想の転換が必要である。C君と話したのは、安価でソフトな医療を実現するためには、同じ考えを もつ医者や薬剤師を組み込んだネットワークをつくればいいということだった(もちろんそう簡単にはいかないが)。しかし、多文化社会であるアメリカの方が 文化的縛りの強い日本より、医療改革は早いのではないかと考えるようになった。


写真:非西洋医薬
うちにある漢方系の薬をとりあえず集めてみました。
右上 もぐさと線香
中央下 ラベルなし オトギリソウのアルコール漬
左 置き薬屋の置いていったセット。
もっとあったはずだがなー。

(小山修三)

2015年10月22日木曜日

現代アメリカと東洋医学(その2) :文化としての医療


医療はすぐれて文化的なものだと思うようになったのは最近のことだ。外国に行くようになってずっと気にかかっていたことでもある。津谷教授(東大薬学部)がWHOにいた頃「医学」を定義しようとしたが議論が割れて統一見解が出せなかったと聞いて納得したこともある。
ささやかな経験だが具体例をあげてみよう。

アメリカで大学の同級生だったY氏とあった。昨年、旅行中に急に気分が悪くなり救急車で病院に運ばれた。原因は盲腸のハレツ、すぐ入院して手術となったが 一晩で退院。そのまま旅行を続けたがトラブルはなかったと言う。実は私も同じような経験を数年前にしたが、その時は10日ばかり入院しなければならなかっ た。保険料は十分払ったつもりだが(ふだんは病院に行かないので)これがアメリカならどれほどカネがいるかとゾッとした。ほかには出産のことがある。アメ リカでは分娩のあと即、退院、あるいは翌日。ウシなみだなーとおそれ驚いたものだ。


彼らは病院とは処置をするところ、生活する場所ではないと考えているらしい。日本では1週間はふつう(最近は短くなっているというが)。この入院の長さは (過去の)医学技術の差とも考えられるが、それより病気というものの考え方、つまり文化の違いと考えるべきだろう。それにあわせて長い入院生活という日本 的医療システムができあがってきたことは明らかである。

その結果が保険制度の差となっている。オバマ大統領は(日本をモデルにした)国民皆保険を掲げている。反対が強いのは費用のかかりすぎ、国の負担が膨大になるし、富裕層はすでに自前で保険に入っているのだから余分な金は払えないというのである。

確かに日本の医療費の増大ぶりは、保険制度の存続にかかわる危惧となってあらわれている。そこには、制度のほかに、小さな愁訴でもすぐ病院へという私たち の考えと行動に問題があるのではないだろうか。小さな愁訴は我慢する、あるいは自力で治すというアメリカ人的発想を取り入れてもいいと思う。文化なのだか ら乗り越えるのは大変なのだが、私たちはハードで高価な西洋医学に対してソフトな東洋医療の思想を組み込むことを真剣に考えるべきではないだろうか。
(つづく)


写真:2015年5月@アトランタ
町の小さな ショッピングモールに東洋医のオフィスが現われはじめた

(小山 修三)

2015年10月21日水曜日

現代アメリカの東洋医学(その1)


最近のアメリカでの東洋医学の浸透ぶりはめざましいことを5月の旅行でつくづく感じた。サンフランシスコのチャイナタウン、メイン通りはけばけばしく飾ら れた、みやげ物店、レストランなどが並んでいるが、じつは裏通りの方がおもしろかった。地味な八百屋、雑貨屋、理髪店、小食堂に混じって、診療所や(公認 されない医療の)鍼灸、指圧、漢方薬の店があり民族医療、つまり中国医学が根強くはびこっていることがわかった。ところが現在は裏町にも美容伝統医療など のしゃれた店が出ているので驚いた。
サンフランシスコ・チャイナタウンの門
Wikipedia より
https://en.wikipedia.org/wiki/Chinatown,_San_Francisco

変化をもたらせたのが1974年のニクソン大統領の訪中だったと言う。国家として対等に付き合うためには医学も認めなければならないと言うことだったらし い。しかし、西洋医学の壁は高く、一般人の反応は冷たかった。それでも時間とともに教育や資格の制度が整い、受け容れる人も増えて、鍼灸院やマッサージの 店が街角やショッピング・モールに登場するようになっている。
西洋医学の進歩は目覚しい。ただし、専門化がすすみすぎて治療は(正しい表現か思い浮かばないが)悪い部品を取り替えればOKという、車の修理と似てき た。たしかに西洋医学はすごいのだが、手術や新薬の使用などはハードに過ぎる気がする。年とともに感じることだが、足腰の痛み、肩こり、不眠、骨折や風邪 などなど、小さなトラブルがつきまとっている。しかし、これらは西洋医学にはなじまない。むしろ、東洋医学のゆっくり(だましだまし?)なおそうとするほ うが適しているのではないか。


両者の間に横たわるのはカネである。オバマ大統領は国民皆保険をめざしているが、カネがかかりすぎると富裕層に評判が悪い。日本がモデルともいわれている が、モデル側にも問題は多いのである。私はその根底に国民の医寮学に対する考え方の差があると考えている。これまでくすりの記事で何度か述べたように、医 療は「文化の的しばりが」きつい、そのもつれれをどう説き解くか、それが先決問題だと考えている。
(つづく)

(小山 修三)











2015年10月10日土曜日

琳派、ゴッホ、浮世絵


五輪エンブレムがパクリだと脅されて撤回されたが、私は未だ作家がなぜあのように唯々諾々と引き下がったのがよくわからない。そんなことで一人悩んでいた ら、10/10から京都国立博物館で琳派展が行われることを知った。メダマは宗達、光琳、抱一の風神雷神屏風である。解説に、琳派とは実際に存在した集団 ではなく、先人の仕事を慕う画家たちが模写に当たったのだといわれている。たしかに、今日のように簡単にコピペが出来る時代では なかったので、模写は正確にいかない、しかしその誤差が新しい表現を生み、新しい感覚があらわれる。だから私たちは光琳はもちろん、抱一にも感銘 を受けるのである。もう一つ挙げれば浮世絵を模写したゴッホの作品がある(模写の例は枚挙に暇ないのだが)。芸術の世界では人々は模写は常識で、それを繰 り返してきたのである。

そう考えるといわゆる途上国では「海賊版」は普通のことである。市場には電気製品、衣類、ビデオ、CD、アイフォンまで安価な偽ものが山と積まれている。 ベトナムに行った時、バイクの理想はホンダ、だから安い中国製の車に、エ ンブレムをはじめ部品までつけかえて(見掛けだけは)ホンダにしようとしていた。 企業としての利益だけを考えれば困ったことだが、そんなことをする若者の眼はいつかくるホンモノの世界を感じ、楽しんでいるのだとおもった。学ぶ=まね る=まねぶ=学ぶことによってこの社会は進歩してきたといえるのである。
 

(小山 修三)


写真1、2:ゴッホと広重(Wikipediaより)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%BA%83%E9%87%8D#/media/File:Hiroshige_Van_Gogh_1.JPG

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%BA%83%E9%87%8D#/media/File:Hiroshige_Van_Gogh_2.JPG




写真3:10月10日より開催されている京都国立博物館の「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」のちらしより

2015年10月1日木曜日

東西カップめん比較


カップうどんでも関東と関西はだしの色が違うとききました。
福島からお土産に買ってきてもらい比べてみました。だしパウダーは静岡と下関製。色は前者がやや濃い程度で味はあんまり変わらない。
そういえば、最近東京の立ち食いウドンは、だしの色がとみに薄くなり、昔日の真っ黒なヤツがなつかしいです。

(小山 修三)




写真:上が福島、下が関西。サイズはちがうけれど同一ブランドです。

2015年9月20日日曜日

五輪シンボル


五輪エンブレムが撤回されて、やり直しと大騒ぎである。ベルギーのある劇場が「うちのエンブレムのパクリだ、訴えてやる」という抗議をおそれたことが第一 の原因らしい。背後に大金が動いていることもある。作者はいくら貰う予定だったのだろうか。後始末の費用だけでも東京都が1500万円だそうだ。

あれはパクリだったのか?白黒vs色彩の違いがあるし、幾何的に円を分割した構成は意図的にマネたとは思えない。なぜ委員会が撤退をきめたのか、作家が反 論しないのかがふしぎなくらいである。netではギロン百出だが同世代の作家たちの意見は至極まっとうで、むしろ足を引っ張る嫉妬やクレームーによって利 益を得ようとする現代社会の悪弊を感じる。

すでに存るものに刺激を受け何かを作り出すことは歴史をみれば明らかである。絵画や彫刻の例を挙げれば美術館で古典を模写するのは当然の教育手段だった。 衝撃的だったのは1960年代のアメリカのポップ・ア-トである。リキテンシュタインやアンディ・ウオホールたちがコミックやスープの缶詰、マリリン・モ ンローの写真に手を加えた作品を発表した。当初は会社や個人との間に版権についてのトラブルがあったはずだが、いまでは世界の現代アート美術館に高額で買 い上げられ、展示されている。

また、わたしの専攻する美術史や考古学の分野での重要な手段法は、「様式」論である。様式とはある文化に共通してあらわれるものを見つけ、それが時代のモノサシになる。すると縄文時代の文化圏における土器装飾はすべてパクリといえるのである。

(小山修三)

2015年9月15日火曜日

見えない遺物を探す:くすり ~小山センセイの縄文徒然草~

小山センセイの縄文徒然草、今月は「見えない遺物を探す:くすり」です。

http://aomori-jomon.jp/essay/?p=8078




2015年9月14日月曜日

開館120年特別展 白鳳 @奈良国立博物館


久しぶりにいい天気になったので奈良博にいった。美術史に興味があったので飛鳥・奈良には学生時代からよく行っていた。白鳳時代の作品は、飛鳥時代にはま だ外国文化が消化しきれていない感じなのにたいし、ようやく日本的になってきたので好きだった。薬師寺の日光菩薩像、聖観世音菩薩、法隆寺夢違観音などを みた思い出もまじってなつかしかった。

1m未満の小型の仏像が多くならんでいたが、なかに無残に首をもがれた像があった。いつ、なぜ、どのようにしてこうなったのか。最近、ISISやタリバン が中東で古代遺跡を爆破しているニュースが脳裏をよぎる。イスラム教はイコンを否定しているのでそれは分からなくもないのだが日本にもよく似た時代があっ たことを思い出す。キリシタン時代にあったが、とくに幕末から明治の初めの神仏分離では、たくさんの寺が打ちこわされたり焼かれたりしたという(もちろ ん、仏像も)。それにしてもあまりにもひどい、ファナティックにすぎる、人類の歴史は?知恵は?技術は?誇りは?何とかならないものか・・・と、古文化財 保護にながくかかわってきた身には激しい痛みに襲われるのである。

PS:10月24日からは正倉院展です。今年のメダマは紫檀の琵琶。復原した琵琶による演奏会もあるそうです。博物館もユニバーサル化しているのですね、あとはランジャタイ(蘭奢待)のにおいをかぐというのはどうでしょう、織田信長じゃないけれど。
(小山修三)

奈良国立博物館 開館120周年記念特別展 白鳳―花ひらく仏教美術―
のホームページ
http://www.narahaku.go.jp/…/2015…/hakuhou/hakuhou_index.html

2015年9月11日金曜日

おでん


オデンについて不思議に思っていることがある。汁は熱いし匂いもきついしアメリカ発のコンビニにはまったく合わないものだと思っていた。それなのに日本ではしっかり定着してしまった(わたし自身の乏しい経験では、アメリカのコンビニでオデンをみたことがない。)

オデンには基本的に「味噌をぬるもの」と「汁で煮るもの」との2つの系統があるようだ。種ものとしてはトウフ、コンニャク、チクワ、卵などが主となるが、 地方によって特別なものがある。とにかくバラエティー豊かで、全国オデン・マップもつくられている。そんな分布図をみてると考古学者だか民族学者の本性が 湧いてきて地方色を調べたくなり、さらには縄文時代へと思考がとぶ。

囲炉裏でいつも煮立っている大鍋、そのなかに投げ込まれた種もの、それを串でさして食べる。これは箸や受け皿の(少)なかった縄文人にとっては誠にぴった りの食べ物ではあるまいか。ようやく涼しくなったのでそんな妄想にかられるのにちがいない。さー、これから一杯やりに行きましょう。

(小山 修三)

2015年8月13日木曜日

温泉 :治療と病のみんぞく学


近くの甲子温泉に行ってきました。若い頃は温泉が好きで、はしごまでして追いかけてたのに、今はなんだか面倒臭く、今夏ははじめて。暑さのせいもあったのでしょうね。


このところ民間薬を追っていましたが温泉もれっきとした治療の1つ。おもしろいのはサギの湯とかシカの湯というのが、動物が 利用しているのを見て、その効用を学んだという温泉がけっこう多いことです。傷、やけど、リューマチ、胃病にきく。動物と人を結ぶ一線がここに見られるの かもしれません。

しかし、プラセボ的というか、日常空間から解放されるという精神的なものが基本的に多いのではないでしょうか。科学か経験か?病と治療の関係は複雑ですね。そういえばドイツも温泉治療がけっこう盛んです。



温泉についてわたしはいつも不思議に思っていることがあります。宣伝用のポスターやビデオに女の人がいつもからだにタオルを巻いている。あれは現地では禁 止されているはず。後世の学者が、そんな資料をつかって、これが正しい温泉の入りかたなどという論文を書かないかと心配です。

(小山 修三)

2015年8月11日火曜日

オトギリソウ:薬のミンゾク学 その2


弟切草をおいかけています。

この薬草には怖い説話がついている。秘薬の作り方を他人に漏らしてはいけないと言っていたのに、弟が漏らしたので、切り殺したというものである。漢字から の連想だろうが、それだけ効果のあることを示しているのかもしれない。ところが今は虫さされに塗る、にまでにおちぶれ?ている。

雑貨屋でも散髪屋でも郷土館でも話を持ちかけると必ず使っているという答えが返ってくる。主におばさんに聞くのだが若い子の反応もいい。それぞれの家で土 用の頃採って干し、焼酎漬けにするのが一般的である。しかし昔は、焼酎はそう簡単には手に入らなかったはずで、新しい作り方であろう。すり潰したり、噛ん だり、他の草と混ぜるなどもっと神秘的な方が、効果がありそうだ。

弟切草の利用は(今のところ)福島だけのことで、四国では聞いたことがないし、青森や関東もそうではないという気がする。そういった地域性の差をどう捉え るかも重要だろう。プラセボ効果も含め、病治療の知恵は、迷信ではなく貴重な文化遺産であるという視点から、今、民族学者は世界中で調査をはじめている。

(小山 修三)

2015年8月8日土曜日

オトギリソウ :薬のミンゾク学



郡山美術館に行った時、前日のくすりの研究会で興奮していたのだろうか、伝統薬の展覧会を開けばどうだろう、絵馬とか広告とか、霊験あらたかな寺社の資 料。それに民間薬をあつめるといい、大きく構えなくてもギャラリー・スペースをつかって参加型のイベントにするといい、などと一人でしゃべっていた(いつ もそうじゃないですかという人もいるけど)。

学芸員のTさんが民間薬と言えばこの地方はオトギリソウですねと語り始め。その熱弁はクマノイとかチョウセン ニンジンに万能薬に似た信頼を寄せる地方があることを思い出させた。




オトギリソウは日本、朝鮮、中国に自生する草、漢方薬名は小連翹。鎮痛、月経不順、止血、関節炎にも効くとある。現在、白河市に近い山中の村に逼塞してい るところなので、ちょうどいいやと近所の散髪屋さんに出かけて行った。ありました。庭の雑草に混じって小さな黄色い花をいっぱいつけた草、土用の頃に採 り、乾かして焼酎につける。虫さされに効くと。

このあたりはどこの家でもやってたもんだ、今は薬局に行ってしまうんだけど、と奥から埃をかぶったボトルを持ち出してきた。少し頂いて、前日そとでひるねをしてたら虫に刺されたところにつけたら、なおった?。それ以外の薬効についての情報は得られなかったのでもっと調べなければと思っている。

(小山 修三)

2015年8月6日木曜日

7月28日の講義(その2)


煙でいぶすアボリジニの治療、ドイツの薬屋が日本の薬種問屋、アメリカ西部劇のバッファロー・ビルの巡回ショウの真の目的は薬を売ることだった、その薬に は先住民の薬草が使われていたのではないか、アメリカでは現在、東洋医学の再評価がはじまっている…など民族学者の話はウソのような(ホントウの)本当に 見た体験談が入るのでみんな楽しそうだった。

しかし、最も盛り上がったのは日本の民俗学についてだった。柳田國男から始まる日本民俗学はたくさんの治療や薬の話を採集してきた。分類すると、1)祈 願:お百度参り、物断ち、願掛けなど 2)祈祷:村祈祷、神送りなど 3)まじない:神主・僧侶・巫女・修験など 3)物理療法:按摩、鍼灸、温泉(入 浴)など 4)民間薬、富山に代表される売薬、そして民間薬には、モグラの丸焼きとか、なんとも不思議なものがある。今は医療制度がいきわたったためにこ ういった習慣は消えつつあるが、地方では青森や飛騨などの朝市でまだたくさん野草を売っているし、寺社めぐりの団体旅行、ガンに効くお寺にまいるなどまだ まだ私たちの生活の中にのこっている。

こういった実態を新しい視点でしらべることが、庶民のつくった文化遺産を守るために必要ではないか。異分野が協力する研究はおもしろい。
これが、プラセボ効果に注目して、あたらしい展開を目指す若い研究者への言葉である。この講演で学ぶことが、改めて一論をまとめたいとおもっている。 

津谷喜一郎編著 2015『いろいろな分野のエビデンスー温泉から国際援助までの多岐にわたるRCTやシステマティック・レビュー』ライフサイエンス出版

(小山 修三)

2015年8月4日火曜日

くすりの民族学 @東大薬学部


7月28日に、東大薬学部津谷先生の研究会に呼ばれて話をしてきました。タイトルは「くすりの民族学」

*****
日本の現代医学はいわゆる西洋医学の圧倒的な影響下にあるが、その根源は呪術、よくても宗教、哲学に帰着する。それは、アユルベーダ(インド)、東洋医学 (中国)などにも共通していることだ。それは医学が「死」というものを明快に説明できないからである。ここでは病を、1.死に至るものと、2.そうではな く、痛みや痒み発熱などの日常的な愁訴を柔げるためのものにわけて、それに使用された薬についてかんがえることにする。

故西田利貞氏はアフリカでチンパンジーが普段は食べない苦い葉っぱを食べて病気を治しているのに注目して「動物薬学―zoopharmacology)を 提唱した。動物にも薬の知恵があるのではないかというわけだ。そこで辺りを見回すと、体調悪げな犬や猫が特別な草を食べているのを見ることがある。もっと 人間に近づけてみると、かつて(その頃は人類として認められていなかった)ネアンデルタール人が死者を弔って花を捧げたという説が出されたが、最近ではそ のなかに薬草が混じっていたという研究も出ている。無文字社会のアボリジニやアメリカ先住民の社会でも、調べてみるとしっかりした体系をもっていることが わかってきた。
日本でも、縄文時代にはキハダやニワトコなどが集中的に出土しており、弥生時代には漢方系の桃仁(桃の種)やベニバナが発見されている。日本は律令制が敷 かれ、『神農本草經』を基礎にした医学体系がうちたてられる、それが現代につながっているのである。そうすると、動物から人間までを結ぶ一本の糸が見えて くるのではないか。
*****

これが講演の柱だったが、素人が専門家に話すのは「釈迦に説法」みたいなので、座談形式でやったため話題は多岐にわたった。津谷さんは、かつてWHOで活 躍していたので、世界的な視野で医療を考えるので、実行よりは精神的な効果プラセボ(日本語では偽薬、中国語では安楽薬と訳されている)に注目し、麻薬、 温泉、介護などにテーマをひろげている。参加者は弟子筋の若い研究者たちで、熱気のある刺激的な討論会でした。薬や病のテーマは関心が高く、友の会のセミ ナーをやるとおもしろいなーと思いました。

(小山 修三)

暑い関西を脱出して、執筆にいそしむ?リジチョー。
「持ってきたパソコンとは相性がわるいし、電波の調子もよくないしで、なかなか原稿がすすまない」と言いながら送られてきた写真です。(ほんとかなあ。 こぼら)

2015年8月1日土曜日

アユとオオカミ


すでに書きましたが、鷲家口にあるニホンオオカミ終焉の地にいって天然アユをだすお店に当たりました。そのときは塩焼きで一杯やって帰ったのですが、後で考えるとあれだけ生きがいいのだから「セゴシ」を食えばよかったと、も一回行きました。

奈良の奥山はアユの名所、ここ数年、十津川など方々いったのですが大雨による「山抜け」が方々で発生して川があれ、天然アユはもうだめかとあきらめかけて いたのですが・・・。天然アユはお高いのですが、はらわたが苦くておいしい、これも「雰囲気を食べる」のだからしかたないと満足でした。






オオカミについては、人々に記憶がないかといろいろ聞いたのですが、何しろ100年以上前のこと、具体的な手がかりは見つけられませんでした。庭に飼い犬 がいて、額から鼻にかけて(段のない)スッとしているので、これは「オオカミのDNAが残っているのかなー」ときいたら、飼い主は「ありません」とニベも ない返事でした。

(小山 修三)

2015年7月31日金曜日

ワカメの消費量は韓国が世界一 :トコロテン捕逸あるいは発展


日本人ほど海藻を食べている民族はないと書きましたが、ことワカメに関しては韓国での消費量が日本の3倍にもなるそうです。妊婦用とか誕生日とか背後に民俗的な習慣があるようだ。
李善愛さん(宮崎市立大)の済州島海女の研究をみると、彼女らの活動域は韓国南部沿岸を中心に日本、樺太近くまで広がり、そのおもな仕事は海藻とり。海女がとるのはアワビだけと思っていたので驚いた記憶があります。
ということで、鶴橋に行ってみました。ここは韓国の食文化のグローバル化を支える先端地域。食堂でのランチの焼肉定食にはかならず「ワカメスープ」がつ き、食品店にはイワノリ、アオノリの佃煮、味付け海苔。のり巻きも売っていました。ただしキムチには使わないようです。昆布は専門店がいくつかありますが 日本的な感じ。
(小山 修三)

みんぱくでは8月27日から特別展『韓日食博―わかちあい・おもてなしのかたち』が開催されます。
http://www.minpaku.ac.jp/…/exhib…/special/20150827food/index
韓国の食の秘密を、日本と比較しながら、探ります。実際に香りや味の体験のできるコーナーやイベントがいっぱい。お楽しみに!

2015年7月30日木曜日

イメージの力 ― 国立民族学博物館コレクションに探る @郡山市立美術館


昨年、東京(国立新美術館)と大阪(みんぱく)でおこなわれた「イメージの力」展が巡回し、8月23日(日)まで福島県の郡山市立美術館で開催されているので行ってきました。
この美術館は市立ですが、夏目漱石の愛したターナーの作品を含む英国の水彩画のコレクションがあり、たいへん瀟洒で感じのいい美術館でした。ただ、会場が 小さいので六本木やみんぱくのように大掛かりなものはできないので、学芸員のセンスをいかしたものにつくりあげていました。いわゆる「美術」とはちがった 世界の民族のパワーが現れているとおもいました。

たまたま、来年の秋、香川県でやりたいというので、視察に来ていた香川県立ミュージアムの学芸員と話をしました。こうしてこの展覧会が各地で催されるといいですね。私の故郷のことなのでいろいろ相談に乗りたいと思います。

(小山 修三)

2015年7月29日水曜日

ヒジキ

 ヒジキには砒素が含まれてるので危険じゃないかという情報がありますが、専門家からつぎのようなコメントをいただきました。

「む かし、マグロには水銀が含まれているといって食べないと言い張るイタリア人にあったとき、水銀中毒になるほどトロが食いたいと思ったことがあります。程度の問題なんですね。

ヒジキには無機ヒ素が多く含まれているので、イギリスやカナダなどでは食べないように勧告がだされています。日本人の日常的な食生活では、問題となる量に はなりませんし、これまでヒジキによる健康被害の報告がありません。厚労省は、バランスのよい食生活を心がければ健康上のリスクが高まることはないとして います。

ひじきは「乾燥ヒジキ」で売られていて、水戻し、茹でて、調理を行いますが、その過程でヒ素の量が減少します。 ヒジキは伝統的な食材で、ひじきを上手に活用して、カルシウムや鉄の供給源としており、日本人の知恵といえます。」

(小山修三)

2015年7月27日月曜日

家にある海藻類 :トコロテン捕逸2


海藻類をどれくらい利用しているかと思って家の台所を探索しました。

ずいぶんあるんですね。奈良のスーパーでは生ものはワカメ、モズク、売り場面積では、コブ、ヒジキの多いのが目立ちました。

(小山 修三)

2015年7月25日土曜日

海藻食いの日本人 :トコロテンの捕逸


トコロテンについて書いたら予想外に反応が多かったのでおどろいた。「おやつ的なもの」としてノスタルジーもあって気軽に書いたのだが・・・。し かし、考えてみると日本人ほど海藻を利用する食文化は世界的にもめずらしいのではないだろうか。いま話題になっている和食にしても、そのメダマには 「昆布だし」があり、「スシをまくノリ」がある。ネットで調べるとアイルランドやスコットランドにもあるらしいが、現地のレストランで出あったこ とがない(こんどイシゲ先生にあったら聞いてみよう)。

日本人はいつから海藻を食べ始めたのだろうか?縄文人は環境からみても、何でも食べる(broad spectrum)という姿勢からみても海藻の利用は容易に想像できるのだが、確かな証拠が見つからない。明確になるのは、歴史時代になってから、万葉 集、古事記、日本書紀、風土記、そして木簡にも頻繁にあらわれる。『延喜式』には官の使用人の給食のおかずだったことが書かれている。
海藻はふつう、英語ではseaweed(海の雑草)と一括されるのに対し、日本ではコブ、ワカメ、テングサ、フノリ、ミルなどとじつにこまかく分類されて いる。それは肉とか麦などがひとことでかたずけられているのと比べると対照的である。調理法をみても、だし、煮付け、汁物、盛り合わせのツマ、寒天やトコ ロテンなど地方色豊かに、多様に料理されていることに驚くのである(詳しく書けば一冊の本になりそうだ)。

海藻は栄養学的には、ハラの足しにはならないが(いま、ダイエット食品として注目されているのは皮肉だが)、コメを主食にした日本人の食生活に不足がちなビタミンやミネラルにとんでいて、歴史的にみると絶妙ともいえる役割を果 たしていたと言えるそうだ。

(小山 修三)
坪井清足監修 奈良国立文化財研究所編『よみがえる平城京―天平の生活白書―』日本放送出版協会, 1980より

2015年7月23日木曜日

トコロテン


Wikipedia「ところてん」より
あまりに暑いので、ふと食べたくなったもの
水の中で泳いでいるのをストンとついたトコロテン
三杯酢とからしがいいな。
いま、どこでたべられますか?

(小山修三)

大阪あべの辻調理師専門学校編『料理上手の基礎知識』新潮文庫1984より 

2015年6月29日月曜日

最後のニホンオオカミ:オオカミ(捕逸その2)


久しぶりに太陽が顔をのぞかせる天気だったので東吉野村までドライブにでかけていった。紀ノ川に流れ込む高見川に沿って小川と言う集落がありオオカミの等身大のブロンズ像がたっているのをみたかった。

ここで1905年に捕獲されたのがニホンオオカミ(剥製は大英博物館にある)の最後の確実 な記録で、これによって日本のオオカミは絶滅したとされている。


かつて、ニホンオオカミは日本列島(北海道はエゾオオカミ)で普通に棲息しており、日本列島の唯一の猛獣として生態系をたもつ役割を果たしてい た。しかしヒトと競合することも多く、その狩猟圧が高まるにつれて、ついに20世紀のはじめには絶滅に追いやられてしまったのである。だが、その結果はど うか。シカ、イノシシ、サルなどの跳梁に悩まされているのが現状である。

イエローストーンのオオカミの再導入のことを書いたとき「日本ではできないのでしょうか」という質問を受けた。確かにそんな話もあるにはある。しかし、広 大な面積のアメリカと人口凋密な日本とはそう簡単には比べられないだろう(オオカミの導入にはオランダ、ドイツ、イタリアなどでも議論が 始まっていると聞くが)。


昼食にアユの塩焼き定食をたべた店でのママさんとの会話:

「このアユおいしいですね」
「前の川で息子が『釣ってきたの」
「シカの害はないですか」
「大変なの、前の畑にいつも4,5匹の群れがやってきて畑を丸坊主にするの」
「オオカミがいたらいいのにね」
「こわいけど、それで人が来るならばねー」


(小山修三)

2015年6月28日日曜日

オオカミ(捕逸その1)


イェローストーンのオオカミ(出典 Wikipedia)
イェローストーンのオオカミ再導入の記事についていくつかの質問がありました。できるだけ数値をあげながら捕逸しておきます。

オオカミはかつてアメリカ全土に棲息していましたが、植民地化されると農業・牧畜が主産業になったので害獣として駆逐されて20世紀に入る頃には数が激減 していきました。1920年代にはイェローストーン国立公園とその近辺でもほとんど捕獲・殺戮の記録がなくなり絶滅種とみなされるようになりました。


しかし、1940年代になると、これで生態系のバランスが崩れた、再導入が必要だと言う声が、熱心な自然保護主義者たちからあがり、調査と検討が始められ ました。反対論も強かったのですが、イェローストーン国立公園では、9000km2=四国の約半分ちかい広大な地に人がほとんど住んでないという好条件も あって、1995年に再導入に踏み切ります。1995~97年にかけてカナダから連れてきた41頭のオオカミが放たれたのです。

図1
現在(2013)はそれが95頭に増え、10の群れになって、ほぼ、全域に住んでいます(図1)。群れにはナワバリがあり、広さは300~500km2。 餌は90%がヘラジカ、他にオオシカ、バイソン、シカもたべます。今のところ心配された人畜に対する害はなく、ジステンパーや狂犬病などの発症も見られず 一安心、むしろ観光の強力な魅力(よほどラッキーじゃないと出会わないのに)として欠かせないものになってきています。

イェローストンは普通もっと大きな「グレーターイェロストーン」地域(国有林など人口の少ないところ)としてとらえられており、そこでは約400頭、北 ロッキー山脈では1600頭まで増えていると推測されています。しかしそこにいるマウンテンライオン1万、クマ(ブラックベア)10万などと比べるとまだ 少ないといえるでしょう。なおオオカミはアリゾナ州のグランドキャニオンにもいるそうです。

(小山修三)


図1 出典 US Fish & Wildlife Service
http://www.fws.gov/…/figures/FINAL_Figure_3_GYA_03-10-10.pdf


こんな本を読みました: 五島淑子 2015『江戸の食に学ぶ 幕末長州藩の栄養事情』臨川書店 2100円+税



和食が理想の食として世界遺産に登録され注目を集めている。しかし、和食とは何かと問われると答えに窮する。老舗の料理店の高級料理か、今日の朝飯か、ス シは?天ぷらは?アンパンは?カレーライスは?ラーメンは?和食とは日本人が長い歴史のうちに作り上げてきたものだが、その基本が江戸時代にあることはわ かる、しかしそれはいったい何なのか。

和食が世界的に注目されたきっかけは、1977年のアメリカ上院特別委員会による「米国の食事目標」の報告で理想的な食としてとりあげられたことによる。 豊かな社会の食事が、動物性タンパク質、脂肪、砂糖などの過剰な摂取となり病気や健康弊害となっていると指摘されたのである。伝統的な和食は栄養的に十分 とはいえないのだが、それにもかかわらず現代食の恐ろしさへの警鐘となったのである。その弊害は今や日本にも及び、他人事とはいえなくなったのだから。

五島さんは若いころからみんぱくの共同研究に参加し、明治初期の食生活の栄養評価を行って食が人々の健康や病気にどう影響したかを考察する論文を書いて注 目された。その後、彼女はふるさとの山口大学に職を得て、天保時代(1840年頃)に書かれた『防長風土注進案』(刊本で全22巻という膨大な量)に取り 組んで和食の核となる江戸期の食生活の復原につとめてきた。

古文書をコンピューターをつかい数値化して処理するのは大変な作業である。江戸時代の人と現代の私たちの考えかたや表現法がちがうからだ。たとえば食品の 同定について魚介類を挙げると、一般名のほかに地方名のほかに誤字、あて字、造字までまじるので大変苦労する。また、量についても石や升という容量、貫や 斤など重さのほかに匹、連、束、代金などいろいろの表現がみられる。したがって、復原プロセスではどうしても仮定や推定を入れたシミュレーションが必要と なる。それでも先行論文(たとえば鬼頭 1983、小山ほか 1982)と大きく異ならない結果となっているのは、手法の正しさをしめしているといえるだ ろう。

それにしても、山口県という一地方の、天保年間という特定の時代の食品が網羅され、コンピューター化されて検索可能なデータベースとなったのはすごいこと だ。郷土食はこれからの地域おこしの重要な要素となるだろうし、今放送中の「花燃ゆ」のような時代劇の考証にも役立つはずだ。本書の主体となっているの は、そのデータベースを利用したアカデミックな分析だが、巻末にコラムとしてまとめられたエッセイには「食」の教育者として学生や市民とのふれあいの様子 がいきいきと書かれていて、なかには「モモタローが山口県で書かれたとしたら?」というような著者のお茶目な一面もうかがうことができる。山口県にはおお くの古文書や宮本常一さんに代表される豊富な民俗誌がある。つぎには、庶民の食生活を楽しむことのできる本の出ることを期待したい。

(小山修三)

■参考文献
鬼頭宏
1983 『日本二千年の人口史 : 経済学と歴史人類学から探る生活と行動のダイナミズム』PHP研究所
小山修三、松山利夫、秋道智彌、藤野淑子、杉田繁治
1982 「『斐太後風土記』による食糧資源の計量的研究」『国立民族学博物館研究報告』6(3):363-598

2015年6月27日土曜日

オオカミと山火事 ―イエローストーン国立公園で考えたこと


リジチョーは先月末、無事に米国より帰国いたしました。
イエローストーンの話を、縄文ファンに書いております。
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=7808



どうぞよろしく。(こぼら)

アメリカ鉄道の旅


かつてアメリカはイギリスと並ぶ鉄道大国だった。人や物資の輸送は、初めは馬だったが1830年に始まったとされる鉄道は急速な発達を遂げ、19世紀末には全米のネットワークがほぼ完成し全盛期を迎えている。

ところが、第二次大戦後は飛行機と車(道路)に取って代わられ劣勢になり、廃線があいつだ(しかし、それは旅客面だけで、物資の輸送としては依然として大きな役割をはたしている)。
それでも、車に関しては石油価の高騰や交通事情そして環境への影響などから車への過剰な依存が反省されて、都市部や中距離輸送についても、例えばサンフランシスコ~ロスアンジェルス間の「新幹線」建設が真剣に検討されているという。

長距離の旅についても絶望的というわけではない。それは、なによりも、アメリカ人の心には歴史に根ざした鉄道へのノスタルジアがあるからだと思う(じっさい、各地に鉄道博物館がある)。
アムトラックは1971年に、全国網として政府の肩入れでできたのだが、オイルショックなどもあって順調には伸びなかった。しかし、もともと寝台、食堂車などの基本設備は整っており、ゆったりしているので最近は持ち直しの兆候がみられるという。

汽車に乗ってオークランドからフレズノまで行った。約4時間の旅。JRの正確無比な運行ぶりとくらべアムトラックはのんびりしたものだ。途中の駅 で、「予定より5分早く着いたので止まります。足をストレッチしたい方は外 でどうぞ。タバコを吸いたい人は20フィーと離れて吸ってください」というアナウンスがあった(タバコにかんして好意的な声をきいたのはここだけだっ た)。

将来はもっとサービス面を充実させて、ゆったり、のんびりした大陸陸横断の鉄チャン用の旅が出来る日が来るかもしれないと感じた。


(小山修三)

2015年6月26日金曜日

アメリカで訪れた博物館


みしらぬ地を訪れたとき、博物館を利用すると、その地の歴史、産業、動物・植物、地形などの自然環境について要領よく知ることができ大変便利なので、よく利用する。またいいテーマがあると観光の目玉にもなる。今回行った博物館の幾つかを紹介しましょう。

1.ロッキー恐竜博物館@モンタナ州ボスマン
モンタナ州の東部には恐竜の化石が累積して広く出る地層があり、たくさんの種類の他に、卵から成獣までの恐竜の生涯をみせる意欲的な展示もあります。ここ の名物学芸員の Jackさんは映画ジュラッシクパークの博士のモデルになった人だそうです。もちろん子供達には大人気。
ロッキー恐竜博物館


2.エトワー・インデアンマウンド遺跡@ジョージア州アトランタ近郊
アメリカ南部の州からオハイオ、イリノイ州にかけてミシシッピー文化期(A.D700~1600)に大きなマウンドをつくった遺跡が分布している。エト ワー遺跡はその1つ、6基のマウンドが復元されている。1800年代から 何回も調査されているのだが発掘はマウンド付近にかぎられていて性格がまだよくわかっていない。神殿のような祭祀的性格が強いとおもわれる。平日 のこととて人影はまばら。アメリカ考古学は先住民と植民者の子孫で歴史が分かれており、現在その見直しが進められている。

エトワー・インデアンマウンド遺跡
3.キッズミュージアム@アトランタ市
 子供の同伴者しか大人はだめと入場を断られた。

4.コカコーラ博物館@アトランタ市
みんぱくがはじまったころ、同僚の栗田氏が世界唯一の黒字の博物館というので一緒に熱心に調べたことがある。コカコーラの歴史、世界で作られているコカコーラ(製品)を自由に飲むことができる。庶民文化のつよさを感じた。今人気のラーメン博物館のことを思い出した。

コカコーラ博物館

世界中のコーラ類試飲コーナー

(小山修三)

街にとけこむ日本料理



アトランタは今回初めて訪れる場所。保守的な南部にあるので、生魚を食べるスシには抵抗感があって一般化してないだろうと予想していた。まず、ダウンタウ ンを見て歩いたが、中華レストランに「スシもあります」と出ている程度だった。この街はオリンピック以来大胆な建て替えを進めているのだが、中心となるべ きダウンタウンは「歴史景観」を残しながら再建するという観光的な意味合いでは失敗して、貧民街の雰囲気だけが残ったようだ。

友人が「わたしの働いているビジネス街にはいい寿司屋がいくつもあるからそこへ連れて行きましょう」というので出かけて行った。イタリア、メキシコ、アメ リカ料理などの瀟洒な店が並ぶ一角があった。きんきらの中華店はなく、現在のアメリカの普通の街の一角と感じで、すし屋もとくに日本食であることを強調し ていない。顧客も平然と箸を使いスシをつまんでいる。すでに日本車については述べたように、コンパクトで経済的な日本文化の合理性がモノや行動という形で アメリカ社会に素直に受け入れられていることに一種の感慨を覚えた。

アトランタの鮨屋TOMO-毎日築地から魚を空輸する高級店
(小山修三)

2015年6月25日木曜日

ケープ・コッド: 人工な的自然?



ケープ・コッド(鱈の岬という意味)はボストンからバスで二時間あまり、気候がよく、景観と歴史遺跡(メイフラワー号が最初に上陸したプリマスはとなりま ち)に恵まれた高級住宅地であると同時に観光地でもあることは東京にたいする鎌倉との関係に似ている。この地の自然は素晴らしい。引退して悠々自適の生活 を送る友人の家は湖畔にあり、ベランダで地ビールを飲みながら芽吹きはじめた対岸の落葉樹の林を眺めているのはなかなかいい気持ちだ。

彼の散歩コースの近所には、電信柱状にたてたミサゴの巣、ニシン(herring)が産卵に来る魚道、季節になると巣づくりにくるsand piper(?)、目を見張るものがいっぱいだ。それらはみんな市の条例によって厳しく規制されていて手を出すことができない。市民が支えている自然なの だ。
ところが一方で、おおきな観光地下の波が押し寄せている。主な道路に面してホテルやロッジがたちならび、レストラン、土産物屋がひしめいている。大ショッ ピングの計画が持ち上がり、ギリギリのところで議会で否決したという話を聞いた。しかし、観光は街の未来にとって欠かすことのできない問題なのだ。

しかし変な施設をむやみにつくるよりは規制をかけても守ることが重要だとおもう。つまり、ケープ・コッドの自然とは、ある意味で人がつくっていく自然であ りイェローストーンのあのザラザラした肌触りの自然とは全く違うものだ。それでも、これからの自然はこうして守っていかねばならないのかもしれない。

(小山修三)