2015年10月23日金曜日

現代アメリカと東洋医学(その3)


 アメリカには若いころからよく行ったが、私自身病院に担ぎ込まれるようなことはなかったし、友人たちもほとんどがそうだった。頭痛、腹痛の類はアスピリ ンやアルカシェルツァーでしのいだ。ところが、最近はガンに倒れた友人も出て、病気のことがよく話題にのぼるようになり、医学用語をあまりにも知らないの に驚いた。

アメリカの東洋医学に興味を持ったのは数年前にC君に会ってからである。文学を志していたがそれも空しくなりぶらぶらしているうちに日本人の友達をとおし てハリをやることにしたという。大丈夫かいなと心配だったが、今回会ったときは、すっかり東洋医らしくなっていた。いくつかの試験を通り抜け、資格をとっ て自立まであと一歩らしい。按摩、カイロ、指圧、灸などの専門化家と組んで腰痛、めまい、耳鳴り、不眠、肥満、肌美容まで日常的な愁訴を直す費用のかから ない診療オフィスをもちたいという。小さなトラブルには大病につながるものもあるが、いろいろ規制があって投薬(漢方薬でも)はできないと言う(ハラ具合 が悪いといったら葛湯をくれた)。

アメリカ社会にこんな変化がおこっているのはまず医療費の高さと医者が分化しすぎて日常生活とは離れすぎてしまったからだろう。かかりつけのジェネラル・プラクティショナー(家庭医)が必要だという声が上がっているのも当然だと思う。

医療費は保険制度にふかくかかわっている。アメリカの保険は高く、自営業やパート的な自由業では入れない人がおおい。日本をモデルに国民皆保険の制度改革 を目指すオバマ大統領は、すでに保険に加入している金銭的に余裕のある人々からとても評判が悪い。確かに日本の制度は国の負担が大きすぎて、将来の維持が 危ぶまれるという欠陥がある。

両者が共有しているのは西洋医学万能の思想である。それは完全なので「死」などないという幻想にまでいっているのではないか。だから日本では小さなトラブルでも病院に駆け込む、そんな手軽さが医療費をふやし、高齢化の速さがそれを加速させている。

これに対しアメリカは病気は自分で直すという発想が基本で、病院に行くのは、いよいよの時、サプリメントが氾濫していることもそれを示しているし、自然食指向が強くなっているのもその一端を示していると思う。

しかし、東洋医学を公的に認めたことがアメリカ人の西洋医学中心の医療感を変えたといえるだろう。すでに述べたように医療は文化的な縛りがつよく、各国で それを基盤にシステムがつくられている。それを変えるには思想の転換が必要である。C君と話したのは、安価でソフトな医療を実現するためには、同じ考えを もつ医者や薬剤師を組み込んだネットワークをつくればいいということだった(もちろんそう簡単にはいかないが)。しかし、多文化社会であるアメリカの方が 文化的縛りの強い日本より、医療改革は早いのではないかと考えるようになった。


写真:非西洋医薬
うちにある漢方系の薬をとりあえず集めてみました。
右上 もぐさと線香
中央下 ラベルなし オトギリソウのアルコール漬
左 置き薬屋の置いていったセット。
もっとあったはずだがなー。

(小山修三)

2015年10月22日木曜日

現代アメリカと東洋医学(その2) :文化としての医療


医療はすぐれて文化的なものだと思うようになったのは最近のことだ。外国に行くようになってずっと気にかかっていたことでもある。津谷教授(東大薬学部)がWHOにいた頃「医学」を定義しようとしたが議論が割れて統一見解が出せなかったと聞いて納得したこともある。
ささやかな経験だが具体例をあげてみよう。

アメリカで大学の同級生だったY氏とあった。昨年、旅行中に急に気分が悪くなり救急車で病院に運ばれた。原因は盲腸のハレツ、すぐ入院して手術となったが 一晩で退院。そのまま旅行を続けたがトラブルはなかったと言う。実は私も同じような経験を数年前にしたが、その時は10日ばかり入院しなければならなかっ た。保険料は十分払ったつもりだが(ふだんは病院に行かないので)これがアメリカならどれほどカネがいるかとゾッとした。ほかには出産のことがある。アメ リカでは分娩のあと即、退院、あるいは翌日。ウシなみだなーとおそれ驚いたものだ。


彼らは病院とは処置をするところ、生活する場所ではないと考えているらしい。日本では1週間はふつう(最近は短くなっているというが)。この入院の長さは (過去の)医学技術の差とも考えられるが、それより病気というものの考え方、つまり文化の違いと考えるべきだろう。それにあわせて長い入院生活という日本 的医療システムができあがってきたことは明らかである。

その結果が保険制度の差となっている。オバマ大統領は(日本をモデルにした)国民皆保険を掲げている。反対が強いのは費用のかかりすぎ、国の負担が膨大になるし、富裕層はすでに自前で保険に入っているのだから余分な金は払えないというのである。

確かに日本の医療費の増大ぶりは、保険制度の存続にかかわる危惧となってあらわれている。そこには、制度のほかに、小さな愁訴でもすぐ病院へという私たち の考えと行動に問題があるのではないだろうか。小さな愁訴は我慢する、あるいは自力で治すというアメリカ人的発想を取り入れてもいいと思う。文化なのだか ら乗り越えるのは大変なのだが、私たちはハードで高価な西洋医学に対してソフトな東洋医療の思想を組み込むことを真剣に考えるべきではないだろうか。
(つづく)


写真:2015年5月@アトランタ
町の小さな ショッピングモールに東洋医のオフィスが現われはじめた

(小山 修三)

2015年10月21日水曜日

現代アメリカの東洋医学(その1)


最近のアメリカでの東洋医学の浸透ぶりはめざましいことを5月の旅行でつくづく感じた。サンフランシスコのチャイナタウン、メイン通りはけばけばしく飾ら れた、みやげ物店、レストランなどが並んでいるが、じつは裏通りの方がおもしろかった。地味な八百屋、雑貨屋、理髪店、小食堂に混じって、診療所や(公認 されない医療の)鍼灸、指圧、漢方薬の店があり民族医療、つまり中国医学が根強くはびこっていることがわかった。ところが現在は裏町にも美容伝統医療など のしゃれた店が出ているので驚いた。
サンフランシスコ・チャイナタウンの門
Wikipedia より
https://en.wikipedia.org/wiki/Chinatown,_San_Francisco

変化をもたらせたのが1974年のニクソン大統領の訪中だったと言う。国家として対等に付き合うためには医学も認めなければならないと言うことだったらし い。しかし、西洋医学の壁は高く、一般人の反応は冷たかった。それでも時間とともに教育や資格の制度が整い、受け容れる人も増えて、鍼灸院やマッサージの 店が街角やショッピング・モールに登場するようになっている。
西洋医学の進歩は目覚しい。ただし、専門化がすすみすぎて治療は(正しい表現か思い浮かばないが)悪い部品を取り替えればOKという、車の修理と似てき た。たしかに西洋医学はすごいのだが、手術や新薬の使用などはハードに過ぎる気がする。年とともに感じることだが、足腰の痛み、肩こり、不眠、骨折や風邪 などなど、小さなトラブルがつきまとっている。しかし、これらは西洋医学にはなじまない。むしろ、東洋医学のゆっくり(だましだまし?)なおそうとするほ うが適しているのではないか。


両者の間に横たわるのはカネである。オバマ大統領は国民皆保険をめざしているが、カネがかかりすぎると富裕層に評判が悪い。日本がモデルともいわれている が、モデル側にも問題は多いのである。私はその根底に国民の医寮学に対する考え方の差があると考えている。これまでくすりの記事で何度か述べたように、医 療は「文化の的しばりが」きつい、そのもつれれをどう説き解くか、それが先決問題だと考えている。
(つづく)

(小山 修三)











2015年10月10日土曜日

琳派、ゴッホ、浮世絵


五輪エンブレムがパクリだと脅されて撤回されたが、私は未だ作家がなぜあのように唯々諾々と引き下がったのがよくわからない。そんなことで一人悩んでいた ら、10/10から京都国立博物館で琳派展が行われることを知った。メダマは宗達、光琳、抱一の風神雷神屏風である。解説に、琳派とは実際に存在した集団 ではなく、先人の仕事を慕う画家たちが模写に当たったのだといわれている。たしかに、今日のように簡単にコピペが出来る時代では なかったので、模写は正確にいかない、しかしその誤差が新しい表現を生み、新しい感覚があらわれる。だから私たちは光琳はもちろん、抱一にも感銘 を受けるのである。もう一つ挙げれば浮世絵を模写したゴッホの作品がある(模写の例は枚挙に暇ないのだが)。芸術の世界では人々は模写は常識で、それを繰 り返してきたのである。

そう考えるといわゆる途上国では「海賊版」は普通のことである。市場には電気製品、衣類、ビデオ、CD、アイフォンまで安価な偽ものが山と積まれている。 ベトナムに行った時、バイクの理想はホンダ、だから安い中国製の車に、エ ンブレムをはじめ部品までつけかえて(見掛けだけは)ホンダにしようとしていた。 企業としての利益だけを考えれば困ったことだが、そんなことをする若者の眼はいつかくるホンモノの世界を感じ、楽しんでいるのだとおもった。学ぶ=まね る=まねぶ=学ぶことによってこの社会は進歩してきたといえるのである。
 

(小山 修三)


写真1、2:ゴッホと広重(Wikipediaより)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%BA%83%E9%87%8D#/media/File:Hiroshige_Van_Gogh_1.JPG

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%B7%9D%E5%BA%83%E9%87%8D#/media/File:Hiroshige_Van_Gogh_2.JPG




写真3:10月10日より開催されている京都国立博物館の「琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る」のちらしより

2015年10月1日木曜日

東西カップめん比較


カップうどんでも関東と関西はだしの色が違うとききました。
福島からお土産に買ってきてもらい比べてみました。だしパウダーは静岡と下関製。色は前者がやや濃い程度で味はあんまり変わらない。
そういえば、最近東京の立ち食いウドンは、だしの色がとみに薄くなり、昔日の真っ黒なヤツがなつかしいです。

(小山 修三)




写真:上が福島、下が関西。サイズはちがうけれど同一ブランドです。