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2014年4月22日火曜日

くすりの民族学、見学編


4月17~18日の友の会体験セミナー「くすりの民族学 見学編」の報告です。

【4月17日(木)】

13:09に、近鉄吉野線・市尾駅に参加者全員が集合。目的地の三光丸くすり博物館へ、ブラブラ歩いていきました。散策には絶好の日和、古墳や神社、寺があり、田んぼの畦は花がいっぱい、村の町並みも古風でなつかしい景色を楽しみました。


14:00~ 工場と博物館見学。浅見館長の案内で生薬のセンブリ、キハダなどの薬草を齧ったり、製造工程を見たり、配置薬についての説明を聞きました。リジチョーは医療の歴史を日本、アメリカ、オーストラリアの例をひいて話しました。



16:00すぎ バスでホテルへ。夜はリジチョー、浅見さんも交えての懇談会、参加者の自己紹介と外国に行った体験談、和気藹々として話がみました。


【4月18日(金)】
9:30 大神神社(おおみわじんじゃ)へ。小雨模様でしたが境内を歩き、病気をしずめる神様をおまつりしているという狭井神社(さいじんじゃ)を見学。ここの拝殿の左にある薬井戸から湧き出る水(ご神水)も飲みました。



10:30~本殿ではじまった鎮花祭(はなしずめのまつり・ちんかさい)を見学。このお祭りは、大宝令で定められ(制定は701年 ですっ!)、神饌にはスイカズラとササユリの根(どちらも薬草)が供えられるのだそうです。本殿前に張り出された献薬者一覧には、奈良、大阪、京都を中心 とした製薬会社の名称がずらり(だれもが名前を知っているような企業もあります)。儀式には、それらの会社や医師など医薬品に関係のある人たちが参列し厳 粛におこなわれていました。

12:00 三輪そうめん山本の陳列室で祭祀土器やモモの種をみたあと昼食。研修の旅は、いちおうここまででしたが、14:00から同社の講義室で行われた公開講座「和食とは何か」にほとんどの人が出席しました。

この講座は、つい先頃、南方熊楠賞を受賞した石毛直道先生に、リジチョーが世界の中の日本の食の薀蓄を聞くというもの。石毛先生+リジチョーならではの、興味深いお話でした。講座終了後(15:30)解散。ゆったりした旅を楽しみました。


2013年12月28日土曜日

北ベトナム旅行と照葉樹林帯(3)


友の会会員の遠藤和雄さんのベトナム旅行感想記、第3回です。
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文化と言うものは生活条件の中で生まれるものです。

照葉樹林帯では腐植質の形成に担子菌類が大きな役割をしているので、その目で見ると樹木のリグニン分(これもポリフェノールの1種でキノコにしか分解できない)を食べるキノコが多いはずと思いました。

やはり何処の市場でも豊富なキノコが出回り、食されています。樹林に入れば簡単に採取出来るのでしょう。
市場で見た麹(これもカビの仲間)に関しては餅麹で小麦粉を原料として麹菌接種で作っているようです。マイチャウの民俗舞踊時に飲んだ酒は長粒種の赤糯米で作られてたようです。アミロペクチンで構成される糯米は簡単に糖化され易く酒になり易いからでしょう。麹は餅麹。麹は糖化だけでなくアルコール発酵もします。酵母も混入しているはず。



一方日本酒、うるち米で酒を作るのは大変で米を糖化する時に米を磨いだとぎ汁に乳酸菌を繁殖させ発酵液及び米を酸性側にしておき雑菌が入り込むのを防ぎます。米を蒸して米で作ったバラ麹(雑菌を排除して純粋なコウジ菌を作る為に進化したと思われます)を接種します。

麹菌とか酵母は担子菌類なので雑菌の入り難いその条件のきつい酸性液の中で米を糖化して次いで酵母が嫌気性中でアルコール醗酵行うので管理が大変です。それで老酒等は糯米で作られています。醗酵の管理技術が低い時には糯米で酒を作った方が楽なのでしょう。

何故か? 糯米は日本でも陸稲で作るケースが多かった。マイチャウでは両方あるそうです。糯米は焼き畑由来の陸稲であった可能性が考えられます。水稲の栽培化と別の道なのでしょう。

 
マイチャウへ向かう途中のローカルドライブインで小型着生ランが売られていました。
数種類ありましたが全部木に付けた着生ランです。売り易いから木に付けてぶら下げていたかと思っていたのですが、ソンラーの温泉近くの木にデンドロビュームの仲間が着生していました。売店の敷地内だったのでそれが栽培の姿だったのです。

ソンラーの市街を散策しましたら住宅地のアチコチで蘭を軒先、塀、樹木に下げて栽培しておりました。栽培品種は大型の物から小型の物まで多種多様。ある家では門を開けて見て行けと誘われました。此処では蘭を栽培する文化があるということです。多種多様ということは近辺の樹林から入手出来るということです。

サパ近辺のカットカット村のモン族の民家では家の周りにシンビジュームが栽培されて花芽が立ち上がっていました。ホテルに戻ると入口の鉢でシンビジュームが咲いていました。この狭い地域で温度差があるということです。

咲いているので分かったのですが一つは花の形が虎の頭に似ているので虎頭蘭と呼ばれている蘭です。もう一つは別の大型のシンビジュームです。これらは現在世界中で栽培されている大型シンビジュームの祖先に当たるものです。気付いて見るとこの地帯は蘭の宝庫だったのです。蘭は根に共生菌がいます。これ等はなんと担子菌類です。その担子菌類もキノコを形成する仲間なのです。先日蘭の部会で蘭は担子菌類が分解したものを栄養源として生存、成長するように進化したのではないかと発表したばかりです。そう考えると照葉樹林帯は蘭の揺籃の地だった様です。旅行前は焼き畑と水田の方が気になり、蘭と照葉樹林帯が結び付か無かったのですが、現地で気付きました。

サパ近郊のシンチャイ村で見た、藍染は液をアルカリ性にして微生物の力で還元する方法でした。冬に向い醗酵は止めていました。家の外には泥藍の塊がポリプロピレンを編んだ袋に入れられ山積みになっていました。外から持ち込まれた物か? 自分達で作ったものか? 

同じ照葉樹林帯の雲南のぺー族の藍染は琉球藍を使用したものです。トレッキングで見たのもタデ藍では無く琉球藍ですので、昔から自分達で泥藍を作っていたのでしょう。、藍染の販売量増えて出来あいの泥藍を用いるようになったのでしょうか?。

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照葉樹林帯で栽培化された物の一つに茶があります。カフェインを植物体に含みます。

一方カフェイン植物としてコーヒーがあります。これらも紫外線の強いエチオピアの高原で選択されたものです。ベトナム高原がコーヒーの栽培の適地なのは納得出来ました。



2013年12月26日木曜日

北ベトナム旅行と照葉樹林帯(2)


友の会会員の遠藤和雄さんのベトナム旅行感想記、第2回です。
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高原の街道を辿って次の地点へ移動するのですが照葉樹林帯を見ると言うよりそれを開拓した土地を見たという感じです。

高度が高いので紫外線が強かったです。開拓前の土地に何故照葉樹林帯が生成したのか? この紫外線が原因だと思いました。紫外線は生物に活性酸素を生成させます。それは細胞組織を破壊するので生物は活性酸素を除去する物質を生成するか、紫外線防御の組織を表面に生成します。


高原植物ではそれが照り葉なのでしょう。表面にクチクラ組織を作り紫外線を防御します。この照り葉の落葉が重要だと思っています。照り葉の落葉は生物による分解がしにくい物質を多く含んでいます。通常有機物は分解しやすい部分は多くの微生物により分解され、その微生物の餌となります。分解しずらい芳香族環を多く含んだ有機物は最終的には担子菌類(キノコ、カビ、酵母の仲間)により分解され腐植質(フミン酸、フルボ酸の集合体)となります。この腐植質は構造のなかに多くの官能基を含み地中の不溶の金属類、+塩類と結びつきます。(キレート化)担子菌類はこれを餌としているわけですが、この腐植質の層が重要です。



落葉樹では葉が薄いので腐植質の形成量は照葉樹より少なく、針葉樹は極端に少ないです。腐植質の量から見ると照葉樹は土地の富養化には有利に働いていると思います。例えば焼き畑では表面をやきますが、地上1m位は温度は800度Cまで上がりますが、地中は昇温もせず、地表の昇温も殆どありません。焼き畑では照葉樹が溜め込んだ栄養分がそのまま残るということです。焼き畑を放棄して再度木が生えますが、富養化が早い照葉樹林帯は焼畑には有利と考えます。

一方水田を考えると、照葉樹林帯からしみ出した水には腐植質の更に分解した低分子化した物(低分子のフミン酸、フルボ酸)が溶解してます。これには塩類が豊富に含まれるのです。このように考えると照葉樹林帯での農業は他の地帯より生産性は大きいのだと思います。たとえ他の地域で栽培化された物でも生産性の良い照葉樹林帯で広がって行ったのではないでしょうか? 

生産性の面から水利が良いところでは水田、背景に樹林を形成出来ない所が焼き畑となったのだと思います。水田を作るにしても水利、水捌けの点で照葉樹林帯の山際は低湿地より有利であったのではないでしょうか。それが棚田を作る背景と思います。この土地では自然の恵みで焼き畑で少人数で農業が成り立つので情報のない古代は手間の掛かる水田は成り立たなかったのではないか? 


この様に考えると水稲の栽培化は陸稲の水田化ではなく野生の米が自生している低湿地で採取と並行して起こり、根腐れの起きにくい管理された傾斜地に移行したのではないでしょうか? それぞれの土地条件が稲の品種の分化を促したのでしょう。(つづく)

2013年12月25日水曜日

北ベトナム旅行と照葉樹林帯(1)


第83回民族学研修の旅「ベトナム西北部 少数民族の世界へ」に参加された友の会会員の遠藤和雄さんから、旅の感想をお寄せいただきました。これから何日間にわたってその感想をアップします。

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 北ベトナム旅行と照葉樹林帯


遠藤和雄



日本文化の基層は照葉樹林文化であると信じてます。

だが未だに米の栽培化起源と照葉樹林文化のセンターの間に見えないものがあります。


昔から北ベトナムのサパには棚田があり少数民族のむらがあり見学できるとの情報があり、個人でも行く予定にはしていたところに今回のみんぱく第83回民族学研修の旅があるとのことで参加させていただきました。「みんぱくの旅行」はいつも期待以上の感激があります。


ツアーを組めるということは観光地として成立しているわけですが、成立している背景、私が興味のある部分を探るのが楽しみです。

ツアー最終地のサパ周辺の棚田を見終わってから感じたことを述べたいと思います。



マイチャウに着いて、高床の宿舎の前の田圃の土をすくってみました。新しい田圃の土です。田圃も整然と整理された状況です。日本の田圃は粘土質と言われる層で表面が覆われています。そこで、ここは耕地整理をしたばかりではないかと聞きましたが、不明。

ここは白タイ族の集落で山際には溜池もあり効率の良い米の生産をしているようです。この地だけ見ますと山間で山からの水を効率良く利用しているようです。背景の山は照葉樹林で栄養塩類が豊富な山と考えます。現在は取り壊されておりますが、山際には祠の痕跡があり、山の神を祭っていたようです。白タイの人たちはこの山が米の生産の根源だと経験的に知っていたようです。宗教を否定する現政権になる前は大きな神社?であったのでしょう。

ここの田圃は日本の山間の田圃のようにライステラスという風情で田圃が徐々に落差を付けて連なっていくものです。この風情は黒タイの地域でも同じで北ベトナム全域で見られました。日本では分村等で田圃が最初につくられるのはやはり山と山に挟まれた谷津地とか谷地と言われる場所です。こういう地形では下の一方向だけせきとめれば田圃が出来るのです。耕具が少ない時代はこの形が一番効率が良かったと思います。


それから米は水田で栽培されますが、基本的には乾燥地作物で長期に根に酸素が行かないと根腐れ現象を起こします。そこで酸素供給するため適当に水を切り根を乾かす作業しなければなりません。適当な時期に水を抜く必要があるので水捌けの良い構造が必要です。それがライステラスなのです。時間が経った田圃はくり返される犂込みで稲の茎が土の中で分解して珪酸と腐植質の混合物が積層物を形成します。これがケト土です。イメージで言う粘土層です。山から沸き出す水には微量な栄養素が含まれていますが、ケト土は表面の官能基でこれを捉え土に蓄え稲に栄養を供給する役目をします。肥料を施さない時代はこの方式で米を連綿と作り続けていたわけです。


多分昔タイ族はこの米作りに有利な地形を探して分村して移動していたのだと思います。先住の人が既に水田を作っていたならそれなりの人口がいたので争いがあったのだと思いますが、実際は生産規模の小さい集団ではタイ族の方式には叶わずタイ族に吸収されたのではないでしょうか? 

帰ってから気付いたのはタイ族は盆地に進出して水田を作ると言う文章です。盆地は上の方は水捌けも良いのですが、大きい土地面積を確保するには下の方に進出する必要があります。盆地の底は水が溜まり易く、水捌けが悪いので水捌けの為の水路とか水抜き池を作るはずです。これを見ていなかった。

日本でも奈良盆地は古代では大きな池でした。これを乾かすために徐々に穴を掘っていったのです。大型工事では大量の土砂が出ます。これの捨て場所が大型古墳と考えます。開削を逐次行い奈良盆地は乾燥していったのです。河内平野も昔は低湿地帯です。蓮根くらいしか取れない土地をやはり米が取れるように乾燥化するのは穴の開削です。日本で一番湖沼が多いのはこの2つの地域です。同時に大型古墳が多いのもこの地域です。今でも金魚の養殖とかカワチブナの養殖が盛んなのでわかると思います。これも米の量産を目指した古代の人達の自然改造の結果です。昔はタイ族に大きな首領がいたと言う事と日本の米の生産量の増大と××王朝の成立は何か話が合致しますね。(つづく)


2013年4月23日火曜日

ミャンマー訪問2:功徳をつむ

小林です。
今日も千里は肌寒いです。
暑かったミャンマーが少しだけ懐かしくなりながら・・・
「みんぱく友の会」民族学研修の旅、ミャンマー紀行第2回目です。

<功徳をつむ>
仏教国ミャンマーではじつにさまざまな方法で「功徳」をつむ用意がされている。
もちろんお布施だってあるけれど、おもしろかったもの、盛んにおこなわれていたものをピックアップ。

1.パゴダの前で鳥を放つ
2.金ぱくを仏像やパゴダに貼る
3.道ばたに誰でも飲めるようにお水を用意する
4.小鳥が食べられるように稲穂を軒先や木の枝につるす
 (お正月のしめ縄飾りのようなサイズで、街角で売られている)
5.花や食べ物、線香を境内で購入してお供えする
 (お供えされているものの量が尋常じゃない)
6.人のために祈る
7.村の子どもたちの得度式の費用を出してあげる
8.お経を拡声器などでみんなに聞かせてあげる

などなど。
日にちがたつとどんどん忘れてしまいますが、ほかにもいろいろありました。

人びとは本当に熱心に徳をつもうとしていることが印象的でした。

というエピソードを帰国してから知人に話しましたが、とても不思議そうな顔をされました。
今の日本社会では・・・なかなか理解しがたい行動かもしれません。



2013年4月10日水曜日

ミャンマー訪問1:お犬様事情

はじめまして。小林万里絵です。

「国立民族学博物館友の会」で、先月、ミャンマーを訪問しました。
現在、注目のミャンマーはうわさに違わず、さまざまな体験をさせてもらいました。

10日間の滞在で私が見聞きしたミャンマーを「やわらかい」テーマでお届けします。
今回は犬。
なんでよりによって犬なの?という声が聞こえてきそうですが、我が家にもパピヨンがいるので、気になったんだろうと思います。


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ミャンマーは道ばたに犬が多い。
とにかくうようよ、そして道のど真ん中にごろごろ。
おそらく飼い犬ではなく、その辺でてきとうにご飯をみつけて生きている感じ。
ペットではないから、彼らは人間にこびることはない。
けれどもとくに凶暴なわけでもなく、屋台のおばちゃんや参道のお店のおばちゃんの
言うことはよく聞く。(といっても「あっち行きなさい」ぐらいだけど)
彼らは参道でもパゴダの前でもどこでもわがもの顔で寝ているお犬さま。




そうかといっていわゆる「ペット」犬がいないわけでもないらしい。
最終日に訪問したヤンゴン郊外の民族村では、ちょっとリッチそうな若い夫婦が
いわゆる「ペット」としての犬を連れて散策する姿を目撃。
洋服やアクセサリーで着飾られた立派なお犬さまでした。
その後に訪れたスーパーマーケットでは、日本のスーパー同様、犬のグッズを売っている
コーナーもちゃんとありました。
うーん。両極端。
でもどちらもやっぱり「お犬さま」なのでした。




お犬さまの写真、もう一枚、悠々自適(?)の犬の様子です。

この両極端なものが同時に存在するのが、今のミャンマー社会をある意味でよくあらわしているのかも、という気もしてきました。

2013年4月9日火曜日

遷宮

「森」と「式年」について考えるため伊勢神宮に赴きました。初期の式年遷宮には、神宮が所有してい る森林「神宮宮域林」から伐り出された木材が利用されていましたが、鎌倉時代にはすでに、それで間に合わず、木曽産の木材を使うようになったそうです。そ して、大正時代には、状況を打開し、自給復活のための計画が打ち出されました。水源涵養などの面からも、大切な取り組みなんだと思います。
五十鈴川とそのむうこうに広がる森を眺めながら、万博公園で取り組まれている「自立した森再生事業」に思いを馳せました。
そしてもうひとつ、若返ろうとするお社を拝みながら、僕の職場もまさに「式年」をむかえているんだとひらめきました。

西岡