2015年3月21日土曜日

丹波縄文の森塾


2002年の春、みんぱくを定年退職したので家でのんびり寝転がっていたら、とつぜん河合雅雄先生から電話があった。丹波の森公苑で「子供たちを森にかえそう」という企画をやるので手伝ってくれないかという。最近、縄文は自然とよく響き会うようになってきたからね、だからはじめに縄文人の生活を紹介し、山、森、川で自由に遊ばせ、自然を愛し、楽しむ心をそだてようと考えている。30人くらいの子をあつめ夏休みに2,3日のキャンプをやりたい、ということだった。この公苑は笹山市の北、丹波市柏原町にあり昔ながらの町並みと田園が残る地帯にある。環境としては絶好の地だ。

しかし、子どもの扱いは経験がないので大変だった。まず縄文はまだ小学校で教えてないのでわかっていない。マスコミの聞きかじりでなんとも大昔のことだ、くらいのものである。だから、かれらの生活や作品を語ろうとすると一ひねりいる。たとえば、「縄文人がつくるめん類はソバがラーメンか。答=ラーメン、醬油がないし肉好きだから」、「縄文人の神さまは?答=ヘビ、土器におっぱい模様が描かれている」といったぐあいである。真面目にやりすぎると付添いのお母さんがよろこぶだけ。
縄文のおはなし
ものづくりには力を入れた。メインは土器つくり。焼成は落葉や小枝、刈り取ったススキなどをつかうという実験的試みをやった(縄文人がふんだんに材木を使うとは思えないからである)。土器焼きはキャンプファイアーの場となる。

土器をつくる 指導は陶芸家の宮本ルリ子さん

土器焼き はじめゆっくりあたためる

土器焼き クライマックス!
土器が焼き上がったよ
手作業のものづくり。Tシャツやハンケチに縄文のデザインをプリントしたり、描いたり。草木染。弓矢、おはし、おわんなどなど、はらはらしたがおもいきってナイフを使わせた。作ったものを使っていくのはたのしくためになる。

縄文Tシャツ(2005年)

縄文服に挑戦したことも

縄文Tシャツ(2010年) 前衛芸術のようだと感心する塾長




矢をつくる
自分でつくった弓矢で遊ぶ
火おこしに挑戦 (@年輪の里 火おこしの道具も自分たちで制作)
遊びの基地づくりのために、公苑内の木を伐って運ぶ

食事は基本的にはボランテイアーとサポーターのおばさんたちが頼りだった。しかし、野草類や町人が持ってきてくれたシカ肉を焼きそばにいれたこともあった。役所のイベントとしては思い切ったことをやったものだが、河合先生の学識と里人の実践的な知恵が技術がよくいかされていたので、事故もなく成功したのだと思う。
ながしそうめん
これらのことをまとめた絵本『縄文冒険BOOK』をさかいひろこさんがつくってくれた。いいガイドブックになった。
私自身も教えられ楽しんだのは、オオムラサキの飼育、植物観察、バードウォッチ、夜の灯に集まる昆虫、川遊び(珍魚キシニラミをすくいあげたときは感動した)、池でのイカダ遊びなどで、忙しすぎるほどの出来事が詰まっていた。

水生生物の観察(@武庫川 2005年)
縄文の舟(復元)にのる(@鳥浜 2006年)
   
てんぷく丸で遊ぶ(@森公苑 2009年)
ツリーイング (ロープをつかった木登り)

現在では夏のキャンプだけではなく、1年を通じたプログラムとなっている。コメを植え、刈り取り、脱穀までして蒸してたべるので、日ごろは何気なく口にしているコメをたべるまでのプロセスを体験できるのである。またオオムラサキやクワイは吹田市立博物館とのコラボがおこなわれ他地域とのネットワークを広げている。これからのこのような交流はますます盛んになるだろう。

早いものであれから13年。まだ小さかった塾生がサポーターとなって手伝いにきてくれるのはうれしい。わたしはここ2,3年体のバネなくなって子供たちと一緒に遊べなくなった。自然の中で体をぶつけ合って遊ぶのがいちばんいいと思うので滋賀県の考古学者、鈴木康二さん(広瀬さんの「さわって楽しむ博物館研究会」のメンバー)が適任と考え後をお願いすることにした。一抹のさびしさはあるが、すてきな地域おこしのプログラムに参加できたのは幸せだったと思っている。



(小山修三)

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