数年前に私のふるさと観音寺市の応援大使に任命された。無報酬だが、歴史・考古学はけっこう面倒な分野なのでお願いしたいという。それで帰郷したときに担当者と会っていろいろアドバイスをしている。今回は、朝鮮通信使についての公開講座を開くことになった。
きっかけは四国八十八ケ所68番の名刹、神恵院の山門の扁額について、幼なじみの吉良文男さん*が、あれは江戸時代の朝鮮通信使の随員が書いたもの、大事にしなければという指摘である。子供の頃からみなれたものだが、永年の風雨にさらされ劣化が目立つし、有名になると盗難も怖い。そこで国立民族学博物館の日高真吾さんに3Dレプリカを作ってもらうことにした。今回、その間の経緯を公表することにした。
古来、朝鮮半島は日本との関係が深い。弥生時代までは同じ文化圏にあるとみなせるほどだったし、飛鳥・奈良時代には中国文明の導入に大きな役割をはたした。ところが、室町時代から倭寇の跋扈、秀吉の侵略などによって強い軋轢をおこす。しかし、中国文明が日本の知識の基礎である限り無関係ではいられない。そこで、徳川幕府は公式に朝鮮通信使を受け入れる制度を作ったのである(1617~1811)。庶民は、九州から江戸にいたる華やかな道中行列をみるだけでなく、宿舎に押し掛け、芸術や学問の情報を求め、漢文の手直しや書の揮毫を依頼したのである。観音寺市でもそれに関する資料があるという。それは閉ざされた鎖国の時代に、地方文化振興を願って人々がどんな努力を払ったかを具体的に知る端緒になると考えている。機会がある方々に是非、はなしを聞きに来ていただきたいと願っている。
*このブログ 2016.12.29の記事「こんな本を読みました 吉良文男著『茶碗と日本人』参照
(小山 修三)
*このブログ 2016.12.29の記事「こんな本を読みました 吉良文男著『茶碗と日本人』参照
(小山 修三)
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