2017年5月2日火曜日

こんな本をよみました: 吉田時雄 2017 『天馬空を行く』 (自費出版)



吉田時雄 2017 『天馬空を行く』 (自費出版)

千里文化財団は同人雑誌『千里眼』を発行しています。はじまりは梅棹さんが文章のカラオケだといって興味のある人に呼びかけつくったもので、年4回発行、現在137号まで出ています。

現在の同人の数は54名、文章を少しずつ書きためて、それを1本にまとめるという(梅棹さん的)手法で、あの名作『夜はまだあけぬか』(1989講談社;1994講談社文庫)などが出版されています。同人の方々も様々な形でたくさん本をだしています。先日の懇親会でも、堀井良殷『春秋随想』(千里文化財団)、佐藤一段『関西経済人 ちょっと味な昔噺』(文芸春秋社)の出版が報告されました。

それに間に合わなかったのですが、吉田時雄さんの『天馬空を行く』を本日受け取りました。吉田さんは産経新聞の敏腕の経済部記者で、大阪新聞社長。流通科学大学でも教鞭をとっていました。去年逝去なさったのですが、その一周忌を機にまとめた本です。自費出版ですが自分史を中心にのびのびと書いてらっしゃる、楽しい本です。関係者だけに配るには惜しい本だと思います。

(小山 修三)

2017年5月1日月曜日

月刊みんぱく5月号に書いてます


『月刊みんぱく』5月号の"想像界の生物相"をみるシリーズはリジチョーが担当、「人魚とジュゴン――オーストラリア・アーネムランドの神話と美術」というタイトルで書いています。
 
民博に収蔵されている資料の中のアボリジニの人びとの彫刻に、「ジュゴン」の彫刻があるのですが、「ジュゴンの肉塊」の彫刻というのもあるそうです。肉塊っていったい・・・?????

くわしくは本文をどうぞ。
まだ民博サイトでpdfが公開されていませんので、下記に誌面画像(暗い画像でごめんなさい) を載せておきます。

(こぼら)


2017年4月24日月曜日

こんな本を読みました 鈴木七美 2017 『アーミッシュたちの生き方―エイジ・フレンドリー・コミュニティの探求』国立民族学博物館調査報告141

鈴木七美 2017 『アーミッシュたちの生き方―エイジ・フレンドリー・コミュニティの探求』国立民族学博物館調査報告141
価格:みんぱくミュージアムショップにお問い合わせください(近日中に入荷予定)、
https://minpaku.repo.nii.ac.jp(みんぱくリポジトリ)にてpdfをダウンロードできます
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/index.php…

アーミッシュとは現在でも馬車を使い中世風の衣装をまとい、現代のテクノロジー(自動車、電気、テレビ、電話など)を否定して暮らす一風変わった宗教的集団だが、その存在はハリソン・フォード主演の映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」で知っていた程度だった。この集団のルーツは16世紀のヨーロッパの宗教改革運動にある。そのなかにアナバプティスト(再洗礼派)と呼ばれる、「聖書の教えを道標として生きよう」とする集団があった。しかし、その過激なまでの信条は、意外にも反社会ととられ、国家だけでなく他の集団との間にも激しい軋轢を生じて迫害されて移住を余儀なくされた。そんな集団を受け入れた場が新世界の北アメリカ、なかでもあのメイフラワー号が到着(1620)したペンシルバニア州を中心とする中西部地域だった。

彼らの生活は農牧業を基盤に、贅沢や便利さを排した質素で自律的
な生活を営むこと、大家族主義をとり、個人所有を否定し、平和主義(非暴力)を貫き、独自な教育を行ってwell being(よい生)な生活を送ることを目指している。ところがそれは、なんとも窮屈な主張で、例えばジョン・ブックの映画でも、日常的におこるいじめや恋愛などについてこれほどまでに頑なでいいのか、ということがストーリー展開の味付けになっていることからもわかる。

しかし、彼らも現代に生きるもの原理主義だけでは、難しく古い信条を遵守する、テクノロジーを受け入れる、およびその中間派の3つの流れに分けられるという。そんな中でも彼らは根気よく話し合い基本を貫いている。おいしい自然食品をつくり、アンテナショップで販売して人気を博し、それがさらに発展してフェアトレードの動きをおこした。また小規模で年齢で分けないホームスクールは問題のある子どもたちに有効であることや、非暴力で兵役を拒否しても消防やメンタルケアなどの危険で難しい仕事に就くという方法を編み出した。とくに老人や障碍者の生活を守る施設やケアの在り方は現代社会の傷口をいやす具体的な提案となっている。ここに鈴木さんは注目しており、それが本書の主題である。鈴木さんが1989~2016年までおこなってきたアーミッシュ社会での現地調査をまとめたのが本書である。

これを書いていて突然トランプ大統領の姿が浮かんできた。彼はプレシビテリアン(長老派)という比較的戒律の厳しい一派(と聞いた覚えがある)だが、その心情はアーミッシュにも通じていることは大家族主義や、高等教育に対する不信感に基づいていることからわかる(中西部で多くの票を得た理由の1つではないだろうか)。しかし、カネを優先して現生利益を追い求め、他を慮ることなく、贅沢、セックス、離婚、ジェット機、ツイッターなど真逆の生き方になっているのは、人間としてどちらが正しいのか考え込んでしまうのである。

(小山 修三)

2017年4月16日日曜日

ふるさと応援大使のおしごと



数年前に私のふるさと観音寺市の応援大使に任命された。無報酬だが、歴史・考古学はけっこう面倒な分野なのでお願いしたいという。それで帰郷したときに担当者と会っていろいろアドバイスをしている。今回は、朝鮮通信使についての公開講座を開くことになった。

きっかけは四国八十八ケ所68番の名刹、神恵院の山門の扁額について、幼なじみの吉良文男さん*が、あれは江戸時代の朝鮮通信使の随員が書いたもの、大事にしなければという指摘である。子供の頃からみなれたものだが、永年の風雨にさらされ劣化が目立つし、有名になると盗難も怖い。そこで国立民族学博物館の日高真吾さんに3Dレプリカを作ってもらうことにした。今回、その間の経緯を公表することにした。

古来、朝鮮半島は日本との関係が深い。弥生時代までは同じ文化圏にあるとみなせるほどだったし、飛鳥・奈良時代には中国文明の導入に大きな役割をはたした。ところが、室町時代から倭寇の跋扈、秀吉の侵略などによって強い軋轢をおこす。しかし、中国文明が日本の知識の基礎である限り無関係ではいられない。そこで、徳川幕府は公式に朝鮮通信使を受け入れる制度を作ったのである(1617~1811)。庶民は、九州から江戸にいたる華やかな道中行列をみるだけでなく、宿舎に押し掛け、芸術や学問の情報を求め、漢文の手直しや書の揮毫を依頼したのである。観音寺市でもそれに関する資料があるという。それは閉ざされた鎖国の時代に、地方文化振興を願って人々がどんな努力を払ったかを具体的に知る端緒になると考えている。機会がある方々に是非、はなしを聞きに来ていただきたいと願っている。

*このブログ 2016.12.29の記事「こんな本を読みました 吉良文男著『茶碗と日本人』参照

(小山 修三)

2017年3月29日水曜日

こんな本を読みました 安彦良和X斉藤光政 2017 『原点 THE ORIGIN』岩波書店



前世紀末、ドイツの書店でポケモンやドラゴンボールの本やフィギュアまでがずらりと並んでいるので驚いた。日本のアニメやコミックが外国へとは知っていたが内心では「しょせん子供用」と思っていた。しかしそのサブカルチャ―が、その後も世界へと販路を広げていることは周知の事実である。
 
この本はサブカルの巨人の一人、安彦さんと青森のメジャー紙『東奥日報』の記者、斉藤光政さんのコラボによるものだ。


安彦さんは遠軽町(というので津軽の奥にある村かと思っていたらなんと北海道だった)出身。東京の大学にあこがれたがいろいろあって青森の弘前大学で止まってしまった。70年代の全共闘に深入りして除籍される。絵の才能をつかって地元の印刷所などで働いていたが、そのうち当然のように東京へむかう。虫プロではたらきアニメ界に巻き込まれて、一連の「機動戦士ガンダム」をつくる。ほかに、少数民族の過酷な運命を描いた『クルドの星』や『ナムジ 大国主』など日本古代史を扱ったマンガ作品もある。全共闘の学生は概してオタク、キマジメ、クライ。安彦さんもそんな反社会的志向がつよく、とくにマンガは、講談社などのメジャー系のものがほとんどなかった。
千里中央のガンダムのプラモデル売り場

一方、斉藤さんは米軍基地を中心にしたルポや評論を出して注目されているが、ほかに三内丸山遺跡のレポートなど郷土史にも興味があり、『偽書―東日流外三郡誌』という怪?著(安彦さん曰く)があるように現役記者として視野が広い。

本書のもとなったのは、安彦さんのぼんやりとした企画案に斉藤さんが飛びつき、その馬力で東奥日報に一年間にわたる連載したものに、安彦さんのエッセイなどを加えて再構成したものである。オタク性と戦争に対する哲学(正義感)が中心となっているが、基底には同志愛というか、郷土愛の強さが濃厚にある。青森人には太宰治や寺山修司に代表されるように、強烈な郷土へのおもいと都会への反発がある。郷土愛とはサブカルそのものなのだが、ときに逆転してメジャーに変わるという現象をおこす。いま日本は人口減少の時代に入り、衰退を防ぐために地方創生の動きが活発になっている。その原動力は郷土愛からでることは明らかで、本書はその具体的なモデルの1つになるのではないだろうか。


山口昌男さんは文化人類学界のリーダーの1人でメジャーそのものだった。そのあたりのズレがおもしろい。

(小山 修三)