2016年4月1日金曜日

狩人の肖像画:特別展「夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」から



1790年、蠣崎波響は松前藩のために、前年のクナシリ・メナシの戦いに功績のあった12人の酋長の肖像を描いた。当時の日本人には北の狩猟民に関する情 報がほとんどなく、世の好奇心をかきたてたのだろう、絵は京都にももちこまれ評判をよんで多くの模本が作られている。基本的には実写にもとづいていて描か れた英雄たちは、表情が誇張されているものの、錦の衣服をまとい、アクセサリーをかざり、弓、槍、刀をもって立つ。春木晶子さんは「異容と威容」が強調さ れていると指摘している。*

展示場を歩いていて、アーネムランドでのフィールド調査を思い出した。私は縄文人のような狩人の生活に憧れていて、さかんに写真に撮ろうとしていたのだ が、彼らの忌避感が強くて、断わられることが多く苦労した。その理由の一つは彼らの生活ぶりを写実的に、スナップ・ショットで撮ろうとしていたからだろう と今は思う。格好よく、あるいは威容のある姿でという彼らの思い(それは私たちも同じである)を無視していたことが夷酋列像を見てよくわかった。

その点でいえばP.トウィーディ女史の写真集『This My Country』(1985)の1970年代に撮ったボスたち姿は見事だった。トラクターを運転している像、コーラを手にした娘を肩にのせ銃をもっている 像など構図や表現にこだわっていて、「我らは原始人などではない、現代人である」という主張があらわれている。さすがはプロ、写されることを了とした人々 との緊密な気持ちの交流があってのものだろう。

私のムラのボスだったフランクが獲物のカササギガンを担いだ写真もその一つで、2羽のカモをかかえた夷酋イコリカヤニ像と雰囲気がよく似ていた。狩りのえものは豊かな世界に住むという矜持をあらわすためには重要なものなのだと思った。

(小山 修三)

*特別展図録: 北海道博物館(編) 2015 『Ishuretsuzo, the image of Ezo 夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界―』 発行:「夷酋列像」展実行委員会・北海道新聞社
写真も上記図録から

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