2016年4月7日木曜日

サクラ


奈良の観光客は大仏殿が中心
日本人のサクラ好きは異常で、考えさせられることが多い。若いころは、「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花(うろおぼえですんません)」の和歌のような国粋主義的なにおいが重ったるくて反発していたのだが、今は悟りの境地にたっしたのか、うきうきと行動範囲にある万博公園や奈良のサクラを見物している。

花見のはじまりは記録的には平安時代の宮中の宴とされるが、万葉集にもそれらしい歌があるし、『源氏物語』にもかかれている ので根は深いことがわかる。しかし、私たち庶民の花見、ボンボリをつるし、ゴザをしき弁当を広げて宴をひらく、という原型は江戸時代後期にできあがったものだろう。

ボンボリ
満開のサクラの見事さは外国でもワシントンのポトマックが有名であるように人を引きつける力があることはよくわかる。しかし、さすがにビニールシートをしいて地べたに座り、乱痴気騒ぎをすることは見ない。最近、インバウンド客が話題になっている観光でも、ITで見るかぎり中国をはじめとした客が多く、吸客力がすごいらしい。それでは、花見の将来はどうなるのか、短期間のうちに一斉に咲き、みるまに散ると言う劇場性を賞するにとど まるのか、それとも(日本人のように)非日常の世界にまで突入するのか。サクラの魔力が効いて後者になるとコワイのだが。

着物を着 た中国
の女の子
(小山 修三)

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