もうすっかり、三内丸山遺跡は雪の中・・・でしょうね。
縄文徒然草12月分アップされました。
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=7486
2014年12月18日木曜日
2014年12月15日月曜日
龍河洞の「神の壺」
龍河洞は観光地としてははやくからブームに乗ったところである。平日で閉館まぎわということで人影はまばらだったが、聞いてみると年間10~20万の人が来ているという。しかし、万博のあった1970年には100万をこえていたそうで、その前後の年が最盛期だったらしい。施設はその頃に整備されたらしく、狭く、険しい通路は鉄板の階段や板がしいてあって歩きやすいし、要所には案内がいて説明してくれる。外にでると、博物館、動物園、みやげ店があり受け入れ態勢は万全にちかいといっていいだろう。
しかし、そのために時代的なズレを感じることも事実である。たとえば、洞窟―考古学遺跡という結びつきは、かつては毛むくじゃらのヤバン人というイメージにピッタリであった。しかし、最近では、縄文時代ですら三内丸山遺跡の発掘からヒスイのネックレスをつけ、赤や黒のカラフルな衣装をきていたことがわかってきたし、ましてや、弥生時代には吉野ヶ里遺跡でみるように貴族が絹の衣装を着て、黄金のアクセサリーをつけていたことが常識となってきた。つまり、ここにある、博物館や場内施設の説明はしっくりこないのである。それは施設にも言えることで、当時は1日、何千人も来る観客を、滞りなく安全にハカすためにつくられていることが自然との触れ合いをめざす観光にはそぐわない気がする。それは地元でもわかっていて特別企画の洞窟探検コースとか、地元色を生かしたみやげもの開発などさまざまの試みがおこなわれているのも事実なのだが。
この問題はじつは観光だけではない。人口減少―人手不足が問題となって地方消滅の危機さえ叫ばれる日本という国の大問題なのである。60年代後半から80年代の日本には勢いがあった。しかし、時代は移って知識や社会の仕組みそのものが大きく変わり、右肩上がりの思考法ではもうやっていけないことは確実である。観光は地域を救うカギになると言われ、それを軸に活力のあるマチ作りをする時も、もう一度、基本に帰って考えてゆく姿勢が必要ではないだろうか。
(小山修三)
写真は、香美市HPより
2014年12月10日水曜日
こんな本を読みました:広瀬浩二郎『世界をさわる―新たな身体知の探究』

もう10年以上も前、年の暮れのみんぱくでのこと。突然、停電になり、足元がおぼつかなくなった4,5人が受付前の入り口でおろおろ騒いでいた。すると横をスッと風のように通り抜けて出て行った人があった。「誰?あれ」、「広瀬先生」。タガソレの薄暗がりを恐れない人がいるんだ、と大げさに言えば宇宙人にあったというか、次元のちがう世界に紛れこんだような気がした。
その後、広瀬さんとはわたしが館長をやってた吹田の博物館で、因習に固まった日本の伝統的な展示をかえようと「さわる展示」を計画した時、アドバイザーとして協力をお願いした、なにしろこれも異次元の世界だったから。
「無給なんですか」、「うちの博物館ではえらい人は皆ただ、ウメサオさんとかコマツさんとか」などと軽口をたたかれながらやっていた。その企画は今も続いているし、別にみんぱくでは、いわゆるユニバーサル・ミュージアム共同研究会を立ち上げ、青森、東京、信楽、倉敷などへ実地踏査するのを主旨とした活発な活動をくりひろげている。
広瀬さんと付き合っていて、さわやかなのは、彼が「見えない」障害をまったく苦にしていないことだ。むしろ、晴眼者は「さわる」世界の深遠さを知らない、と啓蒙につとめていることはよく知られている通りである。
本書は『季刊民族学』2012~2014にだされた6回分の連載を中心にまとめたもので、宇宙、育児、武術、観光、など思いもかけなかった分野に突入していった活動報告書とも言える。これからも、この調子でどんどんやってもらいたいと思う。それができれば....
わたしには夢の企画がある。ミンパクの講堂で2人の天才、広瀬さん(もちゃげすぎかなー)とピアニストの辻井伸行さんをならんで舞台に立たせたること。そうすれば、広瀬さんの日ごろの主張と活動の意味が分かるだろうし、「見えないのはお気の毒」というわたしたち健常者の思いは誤解にすぎないことが明らかになるだろう。それよりなにより、会場が満杯になって、常に入館者数の勘定に苦しんでいる博物館の苦労は吹っ飛んでしまうはずだ。
(小山修三)
2014年11月30日日曜日
大古事記展を見てきました

この大古事記展は「奈良でやる展覧会」と予想した形とは
まったく違っていたので驚いた。国宝の点数が少ない、大型品もほとんどない。これなら地方のビンボウ博物館でも十分やれる。内容も神話学、考古学、美術史、研究史、の専門分野の部のほかに、童話から漫画の本、スクリーンでのCG作品まで扱う範囲を拡げてあるので、子どもでもついていけそうだ。
古事記にでるアマテラスオオミカミ、スサノオ、オオクニヌシをはじめとする神々は今も方々の神社の祭神だし、ドラマティクな神楽や踊りがおこなわれている地方もある。神話とは、おとぎばなしではなく、私たちの生活を支えるアイデンティティなのである、最近は古事記が出版などで一種のブームになっていることは、
先の見えぬ不安な時代の中で私たちの心が求めているからかもしれない。
ところで、ここまでやるとすれば、今私たちがみんぱくで
やっている「さわって楽しむ博物館」研究グループの1員として注文をだしたくなる。すぐ思いつくのは、1.研究史から漫画までの本は、展示品としてガラス・ケースにしまいこむのではなく、 手にとって読めるようにする(図書館と連携して)2.神楽の公演をやる(ビデオはあったが)である。3.今日の文化財のレプリカ
製作技術の進歩には目をみはるものがあるが、もっと観客がさわれるものが出来ないだろうか。
それにしてもよく人が入っていた。展覧会の将来(とくに入館者現象に悩む博物館の)の可能性を感じさせるものだった。アイデアの勝利といえるだろう。
(小山修三)
大古事記展は、奈良県立美術館にて開催。~12月14日まで。
2014年11月13日木曜日
2014年10月10日金曜日
月見の宴
ただいま青森県の「縄文FAN」に連載中の「小山センセイの縄文徒然草」
今月は、9月のはじめに、三内丸山遺跡であった縄文大祭典に参加しての随想です。
題して
「月見の宴」
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=7333
読んでくださいね~
今月は、9月のはじめに、三内丸山遺跡であった縄文大祭典に参加しての随想です。
題して
「月見の宴」
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=7333
読んでくださいね~
2014年9月16日火曜日
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