2014年12月24日水曜日

飛騨は雪のなか



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爆弾低気圧が日本列島を襲うことはわかっていたが、あえて飛騨に行ってみようと思った。1970年末に、ヒダゴフドキ・データベース・プロジェクトをたちあげ、定年後は世界文化センターのアドバイザーをやるなど、飛騨は私の学問上のふるさとみたいなところだ。今年は公私共にいろいろあって休みが必要とはやくから計画していたし、時間的にも余裕がある。防寒具に身を固めて行くことにした。

1100am京都駅、広島付近で降雪のため新幹線は30分遅れ、それでも高山までの切符は問題なく買えた。ところが名古屋駅につくと高山線はいつ出るかわからないという。ヤレヤレ、きしめん食べて引返すのか、えらい高いきしめんだ。ようやく2時前に「1543に下呂まで特急ひだ号が出る」という掲示が出た。それより北は倒木のため不通。そこで今夜は下呂泊まりとする。

下呂の位置する益田郡は脊梁山脈の南斜面なので太平洋型気候で暖かくタケやチャが育つ。ふつう雪は少ないのだが、ここもめずらしく大雪だった。外は真っ暗、道はツルツル、なんとか宿にたどり着く。明日はどうなることやら、マーいいか。


↑雪の下呂駅


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快晴、昨夜はまた荒れたようだ。村内放送があったがよく聞こえなかったので、駅までこけつまろびつ雪道を歩いて情報収集に。本日、飛騨金山付近も倒木のため不通とのこと。JRでの進路も退路も断たれたので、宿でゆっくりすごすことにする。酒とひだ牛のすき焼き。野麦峠と言う麦焼酎があった。飛騨はヒエの国だったから、ヒエ焼酎を造れば売れるかもしれないと思う。下呂温泉はいい湯、久しぶりにぐっすり寝た。


1219 快晴。
ローカルの濃飛バスが健闘しており、これで高山に行くことにした。道路状況の無線がしょっちゅう入る。高山盆地の入り口の宮峠までたどり着いたが、突然この先倒木で通行止めになったとの連絡。来た道を少し戻って近年完成した美女街道へ迂回。地元の人は老人パスをつかって小刻みにバスを活用している。新聞では大雪で住民が悲鳴、とセンセーショナルに書いているが、コンビニのある村では棚が空っぽになったところもあるものの、小集落には薪を積んだ家が多いことからみられるように、基本的な冬の構えがよく出来ていることがわかる。隣に座っていた地元の人が、「倒木は停電になるので困る。人手不足で環境整備ができてないからだ。もっとも昔は歩いていたので倒木など踏み越えていったものだ。停電になっても何日かは十分もつ」と言っていた。結局、1時間半のところ2時間半。いそがぬ旅はかつて、『斐太後風土記』記載の昔のムラを一つ一つ訪ね歩いたころを思い出し懐かしかった。

高山は大雪で客足はまばら、それでも雪に埋もれた古い街並に外国人観光客が目立つ、貸し切りバスで来ているのだろうか。飛騨高山まちの博物館、高山市史編纂室を訪れ昔の仲間と話す。彼らはいまや市の文化財や観光の中心になって活躍しているので、緊急事態で気もそぞろ。楽しみにしていた夜の部はまた改めてということになった。
夜はなじみの居酒屋かっぱへ。飛騨ネギ、鮎の一夜干し、イカ、漬物ステーキ。
↑高山一之町の雪  
『斐太後風土記』にはアユキョウという食品が記されていて、正体が何ものかと探し回っていた時この店で、それはアユの漬物でありここでつくっていると言われ、実物を食することができた。その話をしたら、稀少品で残り少ないアユキョウを花びらのように薄く切った数片を出してくれた。今年は川があれてアユが小さくてと言う。さすが高山、江戸時代の味、今回の旅の目的はこれで果たしたのである。

  
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高山線が名古屋まで開通、富山へも。観光の町はJRが動脈のようなもので、週末にあわせ復旧作業にはげんだのだろう。すれちがう対向の特急はまずまずの入りだった。乗客がこちらの列車を指差しなにか言っている様子。名古屋駅で降りた列車の屋根を見て、なるほど、これだけの雪を積んで走っていたら話題になったはずだと思った。4時には家にかえり、またぐっすり寝た。これも飛騨効果だろう。

  ↑名古屋に着いた列車の屋根の雪


(小山修三)

2014年12月21日日曜日

吹田くわいの収穫:丹波の森公苑丹波縄文の森塾



丹波の森公苑のOさんから、5下旬に植えた吹田くわいのその後のご報告をいただきました。

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丹波縄文の森塾では、開塾式の平成26524日、吹田くわいをバケツに植えました。

あれから6ヶ月後の1129日ようやく収獲の日を迎えました。
当日は生憎の雨模様、午後の予定を急遽午前に変更し、10時過ぎからみんなで収獲体験スタートです。各自の重いバケツを池から運びだすと、サポーターが大きな池からポンプアップした水で土を落としてくれます。




土が洗い流された跡を、塾生は一生懸命吹田くわいを探します。1バケツ平均15~23個程度(微少サイズ含む。多くは27個収獲者もあり)は収獲されました。






塾生は、各自の収獲分はお家に持ち帰りましたが、お家で食べたという保護者から次のような感想文が寄せられました。







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(収獲した吹田くわいを「お家で食べた」保護者の感想 (縄文の森塾日誌1129日・・12月20日提出分から)


塾生A:(今日の塾で初めて知ったこと)吹田くわいは普通のくわいよりおいしいこと
保護者A:吹田くわい、少し臭いがありましたが、素揚げで美味しくいただきました。初めて食べました
塾生B:(今日の塾で楽しかったこと)くわいは家に帰って天ぷらにしたけど、クリみたいなほくほくした食感でおいしかったです
保護者B:吹田くわいは初めて食べました。天ぷらにしていただきましたが、えぐ味のないとても良い味でびっくりしました
保護者C:天然のくわいはホクホクして美味しかったね
塾生D:(今日の塾で初めて知ったこと)くわいは食べられること
塾生E:(今日の塾で初めて知ったこと)くわいがどんな風に出来るかということ
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★後日談
昨日(1220日)第7回丹波縄文の森塾が開催され、当日はお餅つきを行いました。

つきたてのお餅に加えて豚汁が振る舞われましたが、その中になんと「吹田くわい」(Sサポーターの農園で栽培されたもの)が入りました。当日は、塾生とサポーター併せて総勢65人の大所帯、Sサポーターのおかげで、11個の割でしたが美味しくいただきました。吹田くわい、サポータの多くが初体験だったようです。