2月14日の朝、奈良は大雪だった。第二阪奈は通行止め、宅配便はうごかないなどの情報が入って来る。今日は飲み会があるのに駄目かー、と友人に電話したら「大阪はそうでもない、夕方から雨なので大丈夫」といわれ、こわごわすべる道をでかけていった。さいわい近鉄は動いており思ったより道中は楽だったが、苦難を乗り越えてわざわざ来たと恩にきせてやれと大げさに話してたら、Oさんが今日はシルバー仲間と春日山にいって地獄谷まで仲間と歩いてきた、楽しかった、といったので驚くとともに面目を失ってしまった。
写真:Oさん撮影
あの大雪は北陸や中部地方には甚大な被害を及ぼし、山梨県は地域全体が孤立に追い込まれそうになっていた。動けなくなった車の列、たくさんの除雪車、孤立した集落からヘリコプターで救助される人々、農産物の流通がとまる、被害額は何百億にのぼるとテレビや新聞が今もかきたてている。
この雪で日本もずいぶん変わったものだとつくづく思った。鈴木牧之の『北越雪譜』には豪雪の中で冬を越す北陸地方の生活が活写されているが、大変だったことはわかるもののそれでも人々はしぶとく生きぬいていたことがわかる。それに比べ現代の私たちは交通、流通網は機械化(自動車)され、農産物はビニールハウスでそだてている。何よりも情報をマスコミに頼っているがその論調はいつも「誰かが悪い」とする。すると今回はお天道様が悪いということになるのだろうか。現代人の心配の種はそこにある。
自ら動くこと、それが私たちの命をまもる基本であることを忘れてはならないと思う。
(小山修三)
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