2014年3月12日水曜日

魏志倭人伝と衣装: 武田佐知子さんのお話


グレーター千里で働く人が集まって、一杯やりながら気楽に話そうという会がある。もとは小松左京さんが梅棹さんの話を聞くために四金会と称して月一回ひらいていたものだが、その志をうけついで名前だけは千里文明学会と勇ましい会を続けている。しかし、あの強烈な2人がいなくなった今、座談だけではまとまりがなくなるので哲学、考古学、コンピューター、経済動向など話題はなんでも、しかるべき講師を立てて話していただくことにした。講話は短く、あとの雑談がながいのは伝統というべきだろうか。


私が最初に武田さんの論文に注目したのは、彼女が若い頃発表した論文、ヒミコが着た服は中国の「男性」の皇帝をまねたものだったという鋭い切り口だった。その後、大阪大学の副学長になって探求をやめたのかと心配していたが、しっかりとそのラインを追い続け、弥生時代から江戸時代までの服装史を追い続けていたことがわかった。詳細は長くなるので割愛するが、日本の服装は女性と男性の差があまりないということではないかと思う。彼女の視点は「女性」にあるのが特徴である。

私がベトナムの少数民族をみて、明治時代からの日本の服装の変化を考え女性が男性と比べ保守的なのはなぜか、おしゃれだけではないのか、女性の意見を是非聞いてみたいと思った。武田さんは「男は権利に弱いから」と一言で切り捨てた。すごいなーと感服いたしました。


(小山修三)

写真は、今から15年前、1999年2月28日に開催された瀬戸内歴史民俗博物館が開館25周年記念シンポジウム「邪馬台国の謎を追う 投馬国は讃岐か?」での一コマ。

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