2016年2月19日金曜日

こんな本を読みました:石毛直道著『日本の食文化史-旧石器時代から現代まで』岩波書店 2015年


【飢えた巨人:ショージ君と鉄の胃袋ハカセ】
東海林さだおと石毛直道の二人が同時代の食文化の巨人だと私は考えている。奇しくも、両氏とも1937年生まれ、北関東で少年時代をおくった。37年は日 中戦争の始まった年で、その後日本の食事情は悪化の一途をたどり、とくに敗戦後はひどかった。コメが手に入らずイモ、カボチャなどの代用食、おかずもしば しば野山で採集という縄文時代のような状態だった。2人とも満腹と感じたことはほんどなかったのではなかったようだ。(いまも?)


【2人の共通点】
そんな飢餓感が胃腸が頑健でメタボ気味のお2人のあくなき食への興味と行動の基本にあるようだ。幼時のスリコミのすごさというべきだろうか。
ショージさんはマンガ家、エッセイストとしてマスコミの第一線で活躍していているが、1987年からはじまった『まるかじりシリーズ』は単行本としても 30冊を越え、膨大な記録となっている。短いエッセイに取り上げるのは、立ち食いソバ、ラーメン、カレーライス、オデンなどほとんどがB級グルメ。これに 対し、石毛さんは60年代から文化人類学者として世界各地をとび歩いているが、アフリカ、オセアニアなどのいわゆる未開社会が主で、欧米のグルメとは関係 のない場所だった。(2人とも高級料理も食べているはずだのに)

【2人の相違点】
ショージさんが行く店の多くは安価で小さな店だが、食品や客や店主たちのかもす雰囲気は現代日本の食文化の一面を鋭く描きだしていてエスノグラフィー(民 俗誌)として上質の記録となっている。しかし、テンカスをのせたソバがどんなにおいしいと感じても、ふつうの欧米人、いや、アボリジニの人たちでさえ喜ぶ とは思えない。つまり、それは日本の「文化」であり日本人にだけしか分からないものである。
一方、石毛さんは食に対し「うまい、まずい」の判断はほとんどしない。ある講演会で「先生はゲテモノ食いですね」と聞かれて「いいえ、土地の人が食べてい るものを食べているだけです」と答えたが、どんなモノが出ても逡巡しないという民族学者根性は見事だと言うほかはない。石毛さんは自分らの食文化研究の立 脚点は「文明」であると語っている。個別の文化をのべながらも比較の目を失わず人類に共通するものを見つけ出そうとしているのである。これが2人の大きな 違いと言える。

【日本食の歴史】
本書は、先史(旧石器、縄文)、稲作社会の成立(弥生、古墳)、日本的食文化の形成(飛鳥~室町)、変動の時代(室町~安土・桃山)、伝統的な食文化の完 成期(江戸)、近代における変化期(明治~平成)の期に分けてその歴史をたどっている。弥生時代に稲作は始まってコメを主食、采として魚醬・塩辛がつかわ れるという日本食の基本ができた。その後、肉と乳製品が欠けてゆき、麵類が組み込まれ、南蛮料理の刺激を受け、江戸時代にはレストラン、スナックなど都市 なかで料理が成立、それらが社会変化や技術進化によって磨かれていったことがわかりやすく述べられている。

【文明としての日本食】
本書がおもしろいのは終章において大きな逆転があることだ。1960年代から精力的に世界を廻っていた石毛さんはろくろく料理(cook)もしない魚を生 で食べる日本食が世界性を獲得することは困難であると考えていた。早くから書き溜めていた本書にもその俤が処々にみえる。ところが1970年代末にアメリ カでスシブームが起こり、それが世界にひろがっていった。スシが食の世界を変えたと言ってもいい。
石毛さんは早くも、1980年にロスアンジェルスの日本料理店を調べている。私もメンバーの一人だったが、高級料理店に映画スターや弁護士などのセレブた ちが集まる盛況ぶりに目をみはるばかりだった。もともとは米政府による高エネルギー高タンパクのアメリカ食が肥満や生活習慣病によるという反省からでた勧 告に発したもので、わたしたちの調査の結果も同じことを示していた。しかし、それにしても彼らのタブーにちかい「ナマの魚をこれだけ食べるのはねー」とい う日本人としての疑問が拭えない。それを石毛さんは「うまいからである、カキは生で食べてるじゃないか」と言い放った。なんでも食べてきた民族学者の真髄 を見た気がした。

【日本食のこれから】
その後、スシだけでなく日本料理全体が評価されて世界文化遺産に登録されるまでに至った。しかし「伝統を押しつけたり、守りに廻って押し付けてはならな い、伝統の本質は絶えざる創造の連続にあるのだから」。いま世界各地で展開をみせている日本料理の未来を見守って行きたいというのが石毛さんの最も重要な メッセージであろう。

(小山 修三)

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