2014年12月21日日曜日

吹田くわいの収穫:丹波の森公苑丹波縄文の森塾



丹波の森公苑のOさんから、5下旬に植えた吹田くわいのその後のご報告をいただきました。

***********


丹波縄文の森塾では、開塾式の平成26524日、吹田くわいをバケツに植えました。

あれから6ヶ月後の1129日ようやく収獲の日を迎えました。
当日は生憎の雨模様、午後の予定を急遽午前に変更し、10時過ぎからみんなで収獲体験スタートです。各自の重いバケツを池から運びだすと、サポーターが大きな池からポンプアップした水で土を落としてくれます。




土が洗い流された跡を、塾生は一生懸命吹田くわいを探します。1バケツ平均15~23個程度(微少サイズ含む。多くは27個収獲者もあり)は収獲されました。






塾生は、各自の収獲分はお家に持ち帰りましたが、お家で食べたという保護者から次のような感想文が寄せられました。







-----------------------
(収獲した吹田くわいを「お家で食べた」保護者の感想 (縄文の森塾日誌1129日・・12月20日提出分から)


塾生A:(今日の塾で初めて知ったこと)吹田くわいは普通のくわいよりおいしいこと
保護者A:吹田くわい、少し臭いがありましたが、素揚げで美味しくいただきました。初めて食べました
塾生B:(今日の塾で楽しかったこと)くわいは家に帰って天ぷらにしたけど、クリみたいなほくほくした食感でおいしかったです
保護者B:吹田くわいは初めて食べました。天ぷらにしていただきましたが、えぐ味のないとても良い味でびっくりしました
保護者C:天然のくわいはホクホクして美味しかったね
塾生D:(今日の塾で初めて知ったこと)くわいは食べられること
塾生E:(今日の塾で初めて知ったこと)くわいがどんな風に出来るかということ
-----------------------

★後日談
昨日(1220日)第7回丹波縄文の森塾が開催され、当日はお餅つきを行いました。

つきたてのお餅に加えて豚汁が振る舞われましたが、その中になんと「吹田くわい」(Sサポーターの農園で栽培されたもの)が入りました。当日は、塾生とサポーター併せて総勢65人の大所帯、Sサポーターのおかげで、11個の割でしたが美味しくいただきました。吹田くわい、サポータの多くが初体験だったようです。


 

2014年12月18日木曜日

2014年12月15日月曜日

龍河洞の「神の壺」



12月3、4日、高知県の香美市へ講演にいった。行くのが楽しみだったのはこのマチに龍河洞があったからだ。龍河洞は長さ1kmもある鍾乳洞で、狭い割れ目をえんえんと登る。途中、鍾乳石の造形、マリヤ様とか七福神とか神殿とかファンタジックな「見なし」スポットがたくさんある。そして、終点(頂上)近くには考古遺跡、弥生時代に壁際にふと置かれた壺が、天井からの雫を受けてそのまま鍾乳石化して残り神の壺とよばれている。洞窟は古くから知られた遺跡で、私もむかし遠足で行ったような気がするのだがどうもはっきりしない。

龍河洞は観光地としてははやくからブームに乗ったところである。平日で閉館まぎわということで人影はまばらだったが、聞いてみると年間1020万の人が来ているという。しかし、万博のあった1970年には100万をこえていたそうで、その前後の年が最盛期だったらしい。施設はその頃に整備されたらしく、狭く、険しい通路は鉄板の階段や板がしいてあって歩きやすいし、要所には案内がいて説明してくれる。外にでると、博物館、動物園、みやげ店があり受け入れ態勢は万全にちかいといっていいだろう。

しかし、そのために時代的なズレを感じることも事実である。たとえば、洞窟―考古学遺跡という結びつきは、かつては毛むくじゃらのヤバン人というイメージにピッタリであった。しかし、最近では、縄文時代ですら三内丸山遺跡の発掘からヒスイのネックレスをつけ、赤や黒のカラフルな衣装をきていたことがわかってきたし、ましてや、弥生時代には吉野ヶ里遺跡でみるように貴族が絹の衣装を着て、黄金のアクセサリーをつけていたことが常識となってきた。つまり、ここにある、博物館や場内施設の説明はしっくりこないのである。それは施設にも言えることで、当時は1日、何千人も来る観客を、滞りなく安全にハカすためにつくられていることが自然との触れ合いをめざす観光にはそぐわない気がする。それは地元でもわかっていて特別企画の洞窟探検コースとか、地元色を生かしたみやげもの開発などさまざまの試みがおこなわれているのも事実なのだが。

この問題はじつは観光だけではない。人口減少―人手不足が問題となって地方消滅の危機さえ叫ばれる日本という国の大問題なのである。60年代後半から80年代の日本には勢いがあった。しかし、時代は移って知識や社会の仕組みそのものが大きく変わり、右肩上がりの思考法ではもうやっていけないことは確実である。観光は地域を救うカギになると言われ、それを軸に活力のあるマチ作りをする時も、もう一度、基本に帰って考えてゆく姿勢が必要ではないだろうか。

(小山修三)

写真は、香美市HPより 



2014年12月10日水曜日

こんな本を読みました:広瀬浩二郎『世界をさわる―新たな身体知の探究』


この本には広瀬さんと私の対談が載っているので書評というわけにはいかないのだが、まあ、楽屋裏というか、きらくなおしゃべりのつもりで読んでください。

もう10年以上も前、年の暮れのみんぱくでのこと。突然、停電になり、足元がおぼつかなくなった45人が受付前の入り口でおろおろ騒いでいた。すると横をスッと風のように通り抜けて出て行った人があった。「誰?あれ」、「広瀬先生」。タガソレの薄暗がりを恐れない人がいるんだ、と大げさに言えば宇宙人にあったというか、次元のちがう世界に紛れこんだような気がした。

その後、広瀬さんとはわたしが館長をやってた吹田の博物館で、因習に固まった日本の伝統的な展示をかえようと「さわる展示」を計画した時、アドバイザーとして協力をお願いした、なにしろこれも異次元の世界だったから。

「無給なんですか」、「うちの博物館ではえらい人は皆ただ、ウメサオさんとかコマツさんとか」などと軽口をたたかれながらやっていた。その企画は今も続いているし、別にみんぱくでは、いわゆるユニバーサル・ミュージアム共同研究会を立ち上げ、青森、東京、信楽、倉敷などへ実地踏査するのを主旨とした活発な活動をくりひろげている。

広瀬さんと付き合っていて、さわやかなのは、彼が「見えない」障害をまったく苦にしていないことだ。むしろ、晴眼者は「さわる」世界の深遠さを知らない、と啓蒙につとめていることはよく知られている通りである。

本書は『季刊民族学』2012~2014にだされた6回分の連載を中心にまとめたもので、宇宙、育児、武術、観光、など思いもかけなかった分野に突入していった活動報告書とも言える。これからも、この調子でどんどんやってもらいたいと思う。それができれば....

わたしには夢の企画がある。ミンパクの講堂で2人の天才、広瀬さん(もちゃげすぎかなー)とピアニストの辻井伸行さんをならんで舞台に立たせたること。そうすれば、広瀬さんの日ごろの主張と活動の意味が分かるだろうし、「見えないのはお気の毒」というわたしたち健常者の思いは誤解にすぎないことが明らかになるだろう。それよりなにより、会場が満杯になって、常に入館者数の勘定に苦しんでいる博物館の苦労は吹っ飛んでしまうはずだ。

(小山修三)

2014年11月30日日曜日

大古事記展を見てきました

地方博物館にとって国宝や重文のある特別展示をすれば強力なキャッチになる。しかし集める手続き、時間、労力、運搬、保険などの費用が大変なので、1,2点の品を借りてきてあとは手持ち品で埋め合わせることが多い。ところが、奈良には国宝がごろごろあって、例えば寺や神社の宝物館には本物でみたされている。正倉院展はその代表的なものだが、いっぽうで堅苦しく、神経がとがって息詰まりそうな雰囲気もある。

この大古事記展は「奈良でやる展覧会」と予想した形とは まったく違っていたので驚いた。国宝の点数が少ない、大型品もほとんどない。これなら地方のビンボウ博物館でも十分やれる。内容も神話学、考古学、美術史、研究史、の専門分野の部のほかに、童話から漫画の本、スクリーンでのCG作品まで扱う範囲を拡げてあるので、子どもでもついていけそうだ。

古事記にでるアマテラスオオミカミ、スサノオ、オオクニヌシをはじめとする神々は今も方々の神社の祭神だし、ドラマティクな神楽や踊りがおこなわれている地方もある。神話とは、おとぎばなしではなく、私たちの生活を支えるアイデンティティなのである、最近は古事記が出版などで一種のブームになっていることは、 先の見えぬ不安な時代の中で私たちの心が求めているからかもしれない。

ところで、ここまでやるとすれば、今私たちがみんぱくで やっている「さわって楽しむ博物館」研究グループの1員として注文をだしたくなる。すぐ思いつくのは、1.研究史から漫画までの本は、展示品としてガラス・ケースにしまいこむのではなく、 手にとって読めるようにする(図書館と連携して)2.神楽の公演をやる(ビデオはあったが)である。3.今日の文化財のレプリカ 製作技術の進歩には目をみはるものがあるが、もっと観客がさわれるものが出来ないだろうか。

それにしてもよく人が入っていた。展覧会の将来(とくに入館者現象に悩む博物館の)の可能性を感じさせるものだった。アイデアの勝利といえるだろう。

(小山修三)

大古事記展は、奈良県立美術館にて開催。1214日まで。 

2014年10月10日金曜日

月見の宴

ただいま青森県の「縄文FAN」に連載中の「小山センセイの縄文徒然草」
今月は、9月のはじめに、三内丸山遺跡であった縄文大祭典に参加しての随想です。
題して

月見の宴
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=7333


読んでくださいね~