2013年8月21日水曜日

縄文時代の農耕:佐々木高明著『稲作以前』について

小山センセイの縄文徒然草に新記事
「縄文時代の農耕:佐々木高明著『稲作以前』について 」
がアップされました。ご一読いただければ幸いです。


(小山修三)

2013年8月17日土曜日

漢方薬と民間薬 百草丸はえらい!

今年の夏は暑いですねー。 冷房で冷えすぎ、外に出ると暑さにやられる。冷房のなかったむかしは、食べ物がいたみやすいので腹を壊しやすく大変でした。腹痛、下痢、便秘など、医者にかかるほどでもない愁訴で頼りになるのはやはりクスリでしょう。

薬草を調べていると、効用として断然多いのは腹こわしと風邪です。薬草は主として漢方の世界、2000年ちかく前にまとめられた『神農本草経』が日本に紹介されて国の医療の原典となるのは、律令制をはじめた時からです。出雲風土記や延喜式(典薬寮)には、そこに書かれた薬草がつぶさに記載されています。

日本の薬草には古くから使われていたものがあります。センブリ、ゲンノショウコ、ドクダミなどは漢方薬としては認められていないようです(日本薬局方には登録されています)。
もう一つ、違いを言えば漢方は数種の素材を混ぜて方剤とするのに対し、民間薬は一種のみの使用が基本になっていることでしょう。

むかし石毛先生に聞いた話ですが、シンガポールでパーティによばれたとき、ナポレオンをリポビタンでわってガバガバのんでる、と。わたしはそれを聞いてこれは食のバランスを大切にする「漢方の思想」であるとおもったものです。

飲みすぎも腹具合の悪くなる原因です。高山ミュージアムに月一で通ってた頃、酒も肴もうまいのでつい飲みすぎで腹をやられました。原因は地元にあると強弁して、薬屋さんを探すと、木曽でつくられた「御岳百草丸」をみつけ、買って飲んだらすぐ直りました(よかったよかった、シンプルなつくりの体で)。その成分を見ると、ゲンノショウコ、センブリ、と(漢方の)オウバク、ビャクジュツ、コウボクでした。

私は民間薬は縄文時代から使われ続けていると考えています。実益を捨てることなくアイデンティティーも守るという、生活の知恵は「えらい」と思います。

(小山修三) 

2013年8月12日月曜日

ヤマタイ国のくすり 桃仁



 2009年に纏向遺跡で大きな建物の横にある溝から、2000個以上のモモの種が一括して(盛ったらしいカゴとともに)発掘された。纏向遺跡は女王ヒミコの都の跡ともいわれているが、伴出する遺物の年代から見てヒミコと同時代である可能性が高い。


Photo by tin.G (via flickr)


なぜこんなにたくさんのモモが集められたのか?現在のわたしたちは「おいしい水蜜桃」のイメージが強いので神にささげられた供物をあとで食べたのだろうとおもってしまう。しかし、平安から鎌倉にかけての頃は甘みが少ないので果物としての評判はあまり良くなかったと云う。モモについては神話や伝承にかかわる話は多い。考古学者は、不明のものについては祭祀や呪術などとして説明をはしょることが多い。しかしこの場合はもっと実用品として説明ができるのではないか。

 私は、これは桃仁(桃の種の核)を取り出す製薬加工のプロセスだと考える。モモの原産地は中国の黄河上流、日本の遺跡から出土するのは、縄文時代の後期からである。その後、弥生時代から次第にその数が増えてゆく。

時代がさがり『延喜式』(927)には、典薬寮の諸国薬料の項にはほとんどの国から(陸奥、出羽、信濃、上野、越後、などをのぞく)桃仁が0.3~6斗と量まで明記して集められている。

 桃仁はAD1~2世紀に出来上がった漢方書に記載されており、のちに日本の国が公式に認めた薬である。現在も生薬として使われており、消炎、沈痛、特に血の巡りに効があるので婦人病に欠かせない薬とされている。ほかに花や葉も浴用剤につかわれるが、成分がきついので、素人は注意とある。

 つまりモモは果物ではなく薬として大陸から持ち込まれ、栽培されたのである。弥生時代には文字、金属、水田稲作農耕など、それまでになかった文物が大陸から日本に持ち込まれている。医薬品は不老長寿を夢見る人間にとって最も重要なものの1つだったのである。
(小山修三)