●フランス料理と和食―食の人脈
小山 無形文化遺産について、日本では祇園祭、文楽、能とかアイヌの古式舞踊などが登録されています。食関係では、はじめにフランスが選ばれていますね。
石毛 フランスの美食術を推し進めたのが、実は私の友達でして、パリ大学の地理の教授をやっていたロベール・ピットさんです。奥さんは、中公文庫からパリだとかフランスの本もたくさん出している戸塚真弓さんという日本の編集者です。ピットさんは地理学者でした。食にも興味を持っていて、20年ぐらい前、パリの第5大学だったかな、世界で初めて「世界のレストラン文化」のシンポジウムを開いた。私も呼ばれて行って知り合いになった。
彼が、その後、国立のソルボンヌ大学の学長をつとめたあと、フランス首相の顧問官に就いた。彼はフランス料理を無形文化遺産に登録しようと運動を始めて、パンフレットを作ったり何かしたんです。それで、うまく登録された。決定する前に彼にまた会ったら、日本料理も登録すべきだといった。それを、日本に帰ってきてからいろんな人に言ったのがどこかに聞こえて、こういった動きになったのかもしれません。そのあと、日本側の委員会のお役所関係の人を、パリに行ってピットさんに会わせたり、ピットさんが日本へ来たときに会わせたりして、そうした応援団みたいなことはしました。フランスの美食術というのも、フランス料理は世界でもおいしい料理だということはよく知られているけれども、料理もいろんな地区で違うわけです。そういった地域性だとか、食事が結婚式だとかいろんな人生の行事に深い関わりをもつとか、また、フランスの食べ方、コースをもって食べるとか、料理を食べながら人々と会話して、いい雰囲気をつくりながら、一緒に食べる者の連帯感を作り上げていくなど、登録にあたっては技術だけでなく、食が人々のつながりや地域性、伝統だとかに深い関係を持っている。そういったことを強調したのです。
彼が、その後、国立のソルボンヌ大学の学長をつとめたあと、フランス首相の顧問官に就いた。彼はフランス料理を無形文化遺産に登録しようと運動を始めて、パンフレットを作ったり何かしたんです。それで、うまく登録された。決定する前に彼にまた会ったら、日本料理も登録すべきだといった。それを、日本に帰ってきてからいろんな人に言ったのがどこかに聞こえて、こういった動きになったのかもしれません。そのあと、日本側の委員会のお役所関係の人を、パリに行ってピットさんに会わせたり、ピットさんが日本へ来たときに会わせたりして、そうした応援団みたいなことはしました。フランスの美食術というのも、フランス料理は世界でもおいしい料理だということはよく知られているけれども、料理もいろんな地区で違うわけです。そういった地域性だとか、食事が結婚式だとかいろんな人生の行事に深い関わりをもつとか、また、フランスの食べ方、コースをもって食べるとか、料理を食べながら人々と会話して、いい雰囲気をつくりながら、一緒に食べる者の連帯感を作り上げていくなど、登録にあたっては技術だけでなく、食が人々のつながりや地域性、伝統だとかに深い関係を持っている。そういったことを強調したのです。
●世界に日本食を紹介する
小山 石毛さんは、世界中ほうぼう日本料理を紹介して歩いてましたよね。
石毛 国際交流基金から頼まれて、ヨーロッパ、中南米などで日本の食文化の講演をしました。料理ってのは、食べることが大事だと。つまり、いくら口で説明したり画像であらわしても、絵に描いた餅に過ぎない。そこで日本食を知らない外国人相手の講演では、伝承料理研究家の奥村彪生さんに同行してもらい、私のしゃべった後に、料理を作り聴衆に食べてもらうことにしました。
小山 反応はどうでしたか。
石毛 それは、まあ、おいしいものを食べさせられて、拒否する人はいませんから、たいへんうけるわけです(笑)。そこのところで我々にとっては意外な反応がある。たとえばスシついて講演したときに、スシの歴史はナレズシからはじまることを述べた。つまり塩をした魚をご飯と一緒に何ヶ月も漬け込む。すると、ご飯が乳酸発酵して、魚も酸っぱくなる。ご飯は何ヶ月も漬け込むからどろどろになっちゃうから普通は食べずに捨ててしまい、魚だけを食べる。ナレズシは、実は日本だけでないんです。中国が生ものを食べていた時代は、中国にもあったし、今でも東南アジアのインドシナ半島からマレーシア半島部などにみられる。ナレズシは、水田稲作と一緒に伝わってきた魚の保存法だというのが私の説です。日本の場合は、室町時代になると生ナレズシが成立する。生ナレズシは、漬け込んで半月くらいで食べる。そうすると、酸味がちょっとは出るのですが、ご飯はまだぐしゃぐしゃになっていませんので、魚と一緒に食べられる。そうするとご飯とおかずが一緒になった軽食としての食事になる。ところが、それでも待ちきれないってんで、ご飯にも魚にも、酢をつかって酸っぱくしたらいいんじゃないかということで、押し寿司やちらし寿司ができる。江戸の町で19世紀のはじめに、にぎり寿司が出てくる。保存食品がインスタント食品化したのです。そういったスシの歴史をイタリアで話したとき、スシの原型である琵琶湖のフナズシを持って行って聴衆に食べてもらった。ナレズシには独特の臭み、においがありますよね。だから、日本でもくさいと敬遠する人が多い。ところが、イタリア人は、そのにおいに抵抗感がない。これはゴルゴンゾーラだとか、そういったブルーチーズの系統の、たいへんクセのあるチーズ、それによく似ているんだという。フナズシのにおいを、滋賀大学の先生方が分析した報告がありますが、クセがあるチーズとにおいの成分がかなり一致している。だから、まったく生まれて初めて食べるものでも、自分たちの食文化にあったものなら、いくらでも評価できるんですね。
●アメリカの日本料理店―地獄の調査?
小山 今回、和食とは何だろうかと理由を調べてみたら、
(1)多様で新鮮な食材―食材が豊富だっていうこと、
(2)栄養のバランスがいいこと、
(3)それで色がきれい、
(4)行事と密接に関係していると。
正月だったらお餅、季節性がある。ここでまた、石毛さんが登場してくる。1980年に石毛さんとロスアンジェルスに日本レストランの調査で行きましたね。
(1)多様で新鮮な食材―食材が豊富だっていうこと、
(2)栄養のバランスがいいこと、
(3)それで色がきれい、
(4)行事と密接に関係していると。
正月だったらお餅、季節性がある。ここでまた、石毛さんが登場してくる。1980年に石毛さんとロスアンジェルスに日本レストランの調査で行きましたね。
石毛 我々が行ったのは1980年で、1970年代の後半から、ロスアンジェルスとニューヨークを中心にスシがブームになり始めた。ブームというのは、後でいろんな理由はくっつけられるけれど、なぜブームになったかっていうのは、ブームが起こっている最中でしかわからないからと調査をした。あの時は50軒の日本料理屋をまわり、500人以上からアンケートをとって調べました。
小山 なんと贅沢な調査やなーとうらやましがられましてね。ぼくは地獄だったけれど(笑)
石毛 それは私も。初め、食文化なんてことをやり始めたときは、食いしん坊だし、食文化をやったら、食いっぱぐれがなくて、仕事にすればいいなあと思った。けれど、すぐそれは浅はかだと悟った。食文化の調査は、うまいものを食うことではなくて、そこの文化を知るためには、人々が普段食っているものを体験することが基本です。アフリカの奥地のお百姓さんがそんなうまいものを食っているはずない。だけど、それを毎日食べることが続くとうんざりする。
2007年に、ロスアンジェルスでの調査のあとアメリカの日本食はどう変わったかを調べるために、和食の世界遺産の登録推進の委員長をやった私どもの同僚だった熊倉さんと瓢亭のご主人の高橋さんの3人でニューヨークに行った。これは2週間かそこらのわりと短い調査だったんですが、例数をなるべく稼ごうと思って、朝晩、朝晩、ニューヨークの日本料理店を食べ回るわけです。まず、料理人だとか経営者にインタビューをする。それから食べて写真を撮る。インタビューした手前、残すわけにいかないから(笑)全部食べなきゃ。朝晩全部、日本料理で、朝になっても昨日の晩飯でもう腹一杯なんです。ニューヨークに行って、ナイフとフォークで食事したことない(笑)。ふつうだったら、アメリカから帰りの飛行機で、久しぶりにみなさん日本料理を食べるのでしょうが、我々にとっては、久しぶりにナイフとフォークの食事(笑)。
麺の調査したときには、これはイタリアの麺、パスタ類に挑んだ。イタリアではスパゲッティなどは、コースの料理の一つなんです。最初に、いわゆるオードブルを食べる。その次に、スープかスパゲッティかマカロニなどのパスタ類、あるいはリゾット、それを食べると次に魚、肉料理のメインデッシュが供される。そして日本の何倍もあるドルチェっていうデザート。そういったコースとして食べなきゃなんない。それで、レストランではコース全体しか注文できないわけでして、パスタ類だけ食べて帰るというわけにはいかん。スパゲッティやマカロニなどの料理は、一食に4種類も注文する。そうすると、一日のうち朝晩だけで8種類、その他に肉料理、魚料理を全部食べる。これは危ないなと思ったけれど、帰って検査してもらったら立派な糖尿病になっていた(笑)。
2007年に、ロスアンジェルスでの調査のあとアメリカの日本食はどう変わったかを調べるために、和食の世界遺産の登録推進の委員長をやった私どもの同僚だった熊倉さんと瓢亭のご主人の高橋さんの3人でニューヨークに行った。これは2週間かそこらのわりと短い調査だったんですが、例数をなるべく稼ごうと思って、朝晩、朝晩、ニューヨークの日本料理店を食べ回るわけです。まず、料理人だとか経営者にインタビューをする。それから食べて写真を撮る。インタビューした手前、残すわけにいかないから(笑)全部食べなきゃ。朝晩全部、日本料理で、朝になっても昨日の晩飯でもう腹一杯なんです。ニューヨークに行って、ナイフとフォークで食事したことない(笑)。ふつうだったら、アメリカから帰りの飛行機で、久しぶりにみなさん日本料理を食べるのでしょうが、我々にとっては、久しぶりにナイフとフォークの食事(笑)。
麺の調査したときには、これはイタリアの麺、パスタ類に挑んだ。イタリアではスパゲッティなどは、コースの料理の一つなんです。最初に、いわゆるオードブルを食べる。その次に、スープかスパゲッティかマカロニなどのパスタ類、あるいはリゾット、それを食べると次に魚、肉料理のメインデッシュが供される。そして日本の何倍もあるドルチェっていうデザート。そういったコースとして食べなきゃなんない。それで、レストランではコース全体しか注文できないわけでして、パスタ類だけ食べて帰るというわけにはいかん。スパゲッティやマカロニなどの料理は、一食に4種類も注文する。そうすると、一日のうち朝晩だけで8種類、その他に肉料理、魚料理を全部食べる。これは危ないなと思ったけれど、帰って検査してもらったら立派な糖尿病になっていた(笑)。
小山 胃袋が鉄でできていてよかったですね(笑)。アメリカで印象的だったのが、日本食といいながら、すごいボリュームなのね。
石毛 そうです。日本人の料理人さんに聞くと、たくさん盛らないと、アメリカ人にはうけない。たくさん盛ったら、ゴージャスでリッチだと。アメリカの日本料理写真を奥村さんに見せたら、どの料理も日本の3倍盛っているっていうんです。
小山 それ、全部食うんですからね。石毛さんのすごいところは、食う前に写真、撮るんですよ。そうしたら、味がもう全部写真の方にいっちゃって(笑)。おもしろいなと思ったのは、寿司屋のカウンターに座ると、知らない人が横に座っても、仲良くやれること。
●スシカウンターの魔術
石毛 欧米のレストランは、作る人と食べる人は完全に隔離されています。調理場は全然見えないところにあって、お客さんと料理場の調理人を結ぶのはウェイターとかウェイトレスなわけです。ところが、スシのカウンターは作る人と食べる人が向き合ってコミュニケーションしながら食べる。これは彼等にとって新しい食べ方なわけですね。ヨーロッパでは、相席は原則としてないわけです。見ず知らずの人を一緒のテーブルに座らせることはしない。待ってもらうか帰ってもらうしかない。ところが、スシの場合だったら、必然的に相席で、それで日本人のスシ職人のたどたどしい英語だと、すぐ話題が尽きてしまうわけで、そうすると必然的に隣同士の、見ず知らずのお客さん同士が話をし始める。単身赴任のアメリカ人だとかが、一人で飯食うのは淋しいという人が友達を作りにスシのカウンターに通ってくるそうです。
小山 あの人たちは一人で行って、一人で食べて、淋しそうに帰って行く。スシのカウンターがそれを変えた。
石毛 カウンターには、スシのネタケースがあって、いろいろな種類の魚や貝が置いてあるから、いろんなスシができるだろう。Give me something special.といって、他のお客さんには出したことのない新しいスシを自分のために握ってくれっていう。そういったのを出したら、チップの世界だから、チップをはずんでくれる。すると、今度は友達に自慢したくて、友達をたくさん連れてきて、この職人さんが俺のために発明してくれた新しいスシだと自慢できる。そこでにぎり寿司に代わって手巻き寿司が登場する。スシネタの魚に野菜を複数あわせて手巻きにすることによって、新種の寿司を創作する。例えば、スモークサーモンの握り寿司をつくったあとに残った皮をちょっとあぶって、それに野菜を混ぜて手巻きにして出す。そういった新種の寿司が日本に逆輸入されて、カリフォルニア・ロールなんてのは、日本でも食えるようになりました。
小山 目の前で形が変化していくみたいなおもしろさと、やっぱりきれいだったんでしょうね。裏巻きがけっこう多いですね。黒い紙で包んでいるの、いやなのかな。
石毛 どうも黒というのは食欲をそそらないらしい。それから海苔を説明するのにシーウィードって、英語で海の雑草っていうの。だから、食欲をそそられない。海苔巻きを初めて見るアメリカ人は、「ダイナマイト」って(笑)。そこで、海苔を内側にした裏巻き寿司をつくった。
小山 それからもう一つ思い出すのが、生で食うのは彼等にはやはりきついだろうと思っていたら、石毛さんが「彼等は、牡蠣は生で食ってるやないか、スシはいける」と予想をしていましたね。
石毛 生牡蠣を軍艦巻きにして、カクテルソースをつけて食べさせるのが流行っていましたね。英語で料理というのは、我々はクックとかクッキングという言葉だと思う。ところが、それは加熱をした料理をしめすことばです。そこで刺身や握り寿司は料理をしていない食べ物なわけです。実際には日本料理の刺身は、ただ魚を切っただけと思われるけれど、あれをうまく片刃包丁できれいに切るとか、その前に新鮮ないい魚をよる目だとか、見えないところにいろんな料理人の工夫があるのだが。
●健康食としての和食
石毛 日本人は生の魚を食べる、火を通さず食べる野蛮な連中だといわれていたのが、今は逆転して、生という自然食にちかい状態で、しかも大変健康によい食品だっていう。つまり、アメリカ人が大きなステーキで、脂がのって、大きなステーキを食べて、リッチな食事だった。ところが、肉や脂をたくさん食べ過ぎて、もうこれは健康によくない。だから肉よりも魚を食べようとなった。それからまた、あまりこてこてと料理しすぎるのはあんまりよくないんだと。そうするとスシは、たいへん健康にいい食事だというイメージができたわけです。
小山 あの頃アメリカ人は栄養過多に悩んでたんでしょ。今でもアメリカの田舎へ行ったら、こんなデブがいっぱいですから。
石毛 1977年、アメリカの上院で、マクガバンという委員長が出した特別調査委員会の報告がでた。このままの食生活だと成人病でえらいことになる。そんな食生活を改善するにはどうしたらよいか。いろんな調査をやったのですが、そうすると、肉よりも魚を食べろ、精製した粉よりも穀物の形がみえるやつを食べろ、そうするとスシは魚を使っている、それから粒のお米を使っている、これはたいへんな健康食だと。その当時のアメリカ人にとって、日本食は健康にいい食事だと認められた。それから一方でヒッピーの後継者たちが熱心だった自然食運動ってのがあって、手を加えない自然に近い状態の料理がいいんだと。それも結びついて、スシは理想的な食品だということになっちゃったわけです。
小山 それに当時のイェッピー、若い実業家、弁護士とか大学の先生などがのった。
石毛 さきほどあなたが言ったけれど、ヨーロッパやアメリカの肥満というのは我々の肥満とだいぶん違う。けた外れに太っている。わたしは、1988年にザクレルでおこなわれた国際人類学民族学、4年にいっぺんの世界大会で、日本人の肥満について発表せよ、と言われて、ちょっと調べて、日本人の肥満に対する観念が歴史的にどう変わったかということを話したのですが。その時、わたしは食い過ぎ飲み過ぎで、太いですね(笑)、それで英語でしゃべったんで、私は日本ではどちらかといったらfatだと、肥えていると言われるんですがと言ったら、聴衆たちがノー、あなたは小太りplumpに過ぎない(笑)。
我々のロスアンジェルスの調査で、いろんな調査をやったけれど、ジャパニーズフードという言葉で思い出す単語を書いてくれ、といったら、一方ではスシだとかスキヤキだとか食品の名前の他に、かなり上位にヘルシー、健康にいい、というのが出てきた。それからジャパン、日本という言葉から何を連想するかというアンケートのなかでは、品質がいい、カメラだとかエレクトロニクスだとか自動車が出てくる。それから信頼できる、清潔で安全で、たいへん高品質。そういった日本や日本の製品に対するいいイメージが日本食が受け入れられるバックとして支えているんだということがわかりました。
●和食の現在と将来
小山 それはちょっとびっくりしましたね。今、海外ではスシが一般的な食物になってきましたよね。日本のスシとはちょっと違うけれど。
石毛 3~4年前の調査で、世界に日本料理店と称するのは5万5千軒あった。今ならもっと増えていると思います。ものすごい数がある。それも、ヨーロッパやアメリカだけでなく、あちこちに。
小山 こうして話していると、日本食が世界的に注目されるようになった。背景には、石毛さんの仕事がずいぶん貢献していると思いますねえ。
石毛 私は、日本食がこれだけ評価されるようになってきたのは、食べてみたらけっこううまい食事であることを、海外の人びとが発見したからだと思います。健康のため無理して食べているわけではない。
どうも伝統的な日本食は世界の料理の常識と違う方を走ってきた。私が食文化の研究をする前、1960年代に世界を回った頃は、日本食は世界性を持つことはないだろうと思った。それは、世界でごちそうというのは、肉と油をたくさん使った料理で。日本食は、肉はあまり使わなかったし、油っ気がなくてダメだろうと思っていたら、それが逆転したわけですね。トランプでマイナス札ばかり集めたら逆転するのと同じように。豊かな国々で肉や油気をたくさん摂り過ぎが問題になった時、目にとまったのがそういうものを使わない日本料理だった。彼等にしてみれば、最初食べるときは勇気がいるけれども、食べてみれば彼等が知らなかったおいしさがあるんだということがわかった。フランス料理だとか中国料理だとか、はやくから世界性を持った料理というのは、料理というのはどんどん自然にある素材に手を加えて、自然からどんどん遠ざけ、さらに人工的なものをどんどん加えて、自然にない味までつくり出す。そういう哲学があるような気がする。それに対して、伝統的な日本料理では、料理をしないことが料理の理想だという、たいへんパラドキシカルな料理なんですね。それで、日本料理の名人、上手、という人たちが、口を揃えていういのは、一番大事なのは仕込みをするときだと。いかに、その季節の、一番新鮮ないいものを手に入れてくるか。技術の方は、その次、二の次だという。あまり料理をしすぎないで、自然の味を賞味しようという、世界的な料理観とは違っている。それが評価されるようになったのだと思います。
小山 和食の哲学がアメリカに反省の材料を与えている。それでは、将来をどう展望しますか?
石毛 日本食の伝統を守れということをよく言われるわけですが、伝統というものは、とくに食は、どんどん変わっていくものなんです。例えば、家庭の食事でいったら、50年前の食事と今だったら、同じ民族の食事か?と思われるぐらい変わっている。例えば、50年前の日本の普通の家庭の料理は、栄養学的にいったら、決定的に動物性蛋白質と油脂が欠乏していたわけです。それが1980年頃になりますと、ちょうどいいバランスになる。ところが今ではもう動物性蛋白と脂肪とが取り過ぎになっている。しかし、これも我々が選択してこうなってきたんですよね。
そこのところで、健康をまず大事にするか、少々健康にもよくなくてもおいしいものをとるかで、それぞれの人生が変わるんだと思いますが、いいものは残した方がいい。そうすると、いったい日本食とは何だろうかというのは定義はできないと思うんです。ただ、その中心にあるのは、ご飯、みそ汁。今はパンをよく食べるようになったから米の消費量が減ったんだというけれど、そうではない。実際に調査をすると、昼飯、晩飯にパンを食べている人というのは、あまりいない。それはレストランで西洋風の食事をしたときだけ。朝ご飯はパン。朝の忙しいときに手間がかからないということで。我々ご飯が嫌いになったから食べなくなったのではなく、パンを食べるようになったから米の消費量が減ったのでもなく、我々が経済的に豊かになって、おかず食いになったわけです。何種類ものおかずを並べて食べている。その分、ご飯の量が減ったわけです。ご飯と味噌汁というのは、あと2世代、3世代のうちになくなるかといったら、そうは考えられない。そうすると、ご飯と味噌汁を大事にしながら、そこのなかでどんどん変化していく。その変化していくなかで、日本料理のいいところをなんとか残していきたい。
小山 日本が行きすぎの感もある。無形文化遺産になったことが反省のための立ち止まるポイントになっていると思います。これの全体の動きのなかに、石毛さんの研究が貢献したことが、お話をうかがっていて思います。ぼくは、友達だからそう偉いとは思わないんですが(笑)、えらい人やと思います。今日はどうもありがとうございました。(拍手)