2014年4月28日月曜日

こんな本を読みました 関雄二『アンデスの文化遺産を活かす―考古学者と盗掘者の対話』


関雄二『アンデスの文化遺産を活かす―考古学者と盗掘者の対話』

2014、臨川書店 ¥2000+税


地下に眠る文化財、それをつくった人々の生活と文化を明らかにするのがわれわれの仕事だ、遺跡に出かけて発掘し出土品は持ち帰って研究する。これが18世紀末あたりから欧米でおこった考古学という学問の基本的な考え方だった。それによって、ギリシア、エジプト、メソポタミア、インド、中国、メキシコ、アンデスなどの大文明の実態が明らかにされたのである。当時は現地の政府や民衆は政治・経済的に弱かったこと、文化財の価値に目覚めていなかったこともあって、出土したお宝はそのまま大学や博物館に所有物として納めるのが当然とされていた。そのため現在は、過去に大量のお宝を集めた大英博物館をはじめとするヨーロッパ(日本もそうだが)の博物館は、泥棒―とか強盗―博物館と呼ばれ、現地からの文化財返還運動が起こって大きな国際問題となっている。

関さんのフィールドはアンデス、黄金製品や土器など豊かな品々が出る事で知られている。あの広大な土地でも人間が住める場所は限られており、人々はくり返し同じ場所にすむことになる、言い換えれば遺跡のうえで暮らしているのである。彼らはそこに家を建てたり、田畑を作ったりするので地下になにかが埋まっていることを経験的によく知っている。それは建築材になる石だったり、ときには墓から出る高価な黄金や骨董品だったりする。おもしろいのは南米では土器や青銅製品が呪術用につかわれることだ。

そのように日常生活に溶け込んだ遺跡や遺物に対して「文化財」という思想が入ると行政による縛りが強まる。貴重な遺跡なので入ってはならないと追い出されることも多いらしい。それではオレの家や畑はどうなるのかという声が上がるが、補償はいつも不十分である。一方で、発掘は作業の労賃や権利金をもたらし、道路や宿舎が整備される。また、マスコミが騒ぎ、市場商品が大量に流れ込むので生活レベルが向上する。それにともなって住民の遺跡や日常生活に対する意識が高まるのである。

ところが、出土品は今でも旧態依然としてマチの博物館に運び出されそこに展示されることが多いという。辺鄙な地では研究施設や管理能力が不十分だからというのがその理由である。当然地元からは、博物館を建て、文化拠点とすれば経済が潤うという声があがる。観光が21世紀の産業となっていることをひしひしと感じる。

「文化財はだれのものか」と問われれば学術研究はもちろん大切だが、それは学者のエゴにすぎないともいえる。最近は遺跡のある地域住民のメリットをどうはかるか、すなわち学者の思想や行動を考える視点が重視されるようになってきた。日本人が南米で調査するという立場にあって、関さんが早くからこの問題に挑んでいたことを本書で知った。同じ考え方は日本でも動き始めている。いま、考古学に新しい分野が生まれつつある、その嚆矢となる書だと言えるだろう。

(小山修三)

0 件のコメント:

コメントを投稿