2016年8月30日火曜日

【報告:2016.8.28 シンポジウム「山と関わる信州の文化考える」 @小川村】


『季刊民族学』の「信州の山」特集をクローズアップする「山の日と信州の山文化」を考えるシンポジウムが小川村でひらかれました。モデレーターは小山修三 理事長。パネリストは発言順に江本嘉伸氏(地平線会議代表世話人、梅棹忠夫賞選考委員)、扇田孝之氏(地域社会研究家、梅棹忠夫賞委員会委員)、神長幹雄 氏(「山と渓谷」元編集長、梅棹忠夫賞委員会委員)、中牧弘允(民博名誉教授、吹博館長、同村出身)の4名。

江本氏が「山の日」の精神は2002年の「国際山岳年」、ひいては1992年のリオ地球環境サミットにあることを力説する一方、扇田氏は「登山の山」ばか りではなく「里山の暮らし」を考える日でもあることに注意を喚起しました。それを受けて神長氏は皇太子殿下も信仰や生活に根ざした山を大切にしておられる ことを指摘し、中牧も小川村の御柱や山岳信仰の戸隠、山中他界観をもつ善光寺、そして残雪の雪形が農作業に貴重な情報を提供していることなど、信仰や暮ら しに息づく山のありかたを紹介しました。

翌日の信濃毎日新聞には「山と関わる信州の文化 考える」という見出しで記事が載りました。同村の参加者の一人は「『山の日』は登山家だけのものではなく、里山・山間に暮らす人びと、そこに関わる人びと こそ、その創設の思想を理解し、行動すべきだというメッセージは小川の民に響いたことと思います。」と感想を寄せてこられました。
特集「信州の山」は地元でもおおきなインパクトをあたえたようです。
(中牧 弘允)


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このシンポジウムのハイライトは中牧さんのふるさとに対する熱のこもったトークでした。まるで、小川村が世界の中心のような気がしたほどです。いま、地方 創生が話題となっていますが、ふるさとに対する「愛情」と「プライド」こそ、もっとも重要なキーワードであると思いました。(小山 修三)

2016年5月23日月曜日

三内丸山縄文発信の会理事長の藤川直迪さんを悼む

三内丸山縄文発信の会を、発足当時から率いてこられた藤川直迪さんが、去る3月14日に肺炎のため逝去されました。これを悼み、小山が『縄文ファイル』No.224に追悼文を寄せております。



謹んでご冥福をお祈りいたします。( こぼら)

小山センセイの縄文徒然草:3月号、5月号のお知らせ

小山センセイの縄文徒然草のお知らせが滞っておりました。
3月号は「鳥と縄文人」↓
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=8438



5月号は「縄文時代の災害」↓です。

http://aomori-jomon.jp/essay/?p=8465

どうぞよろしく(こぼら)

2016年4月7日木曜日

サクラ


奈良の観光客は大仏殿が中心
日本人のサクラ好きは異常で、考えさせられることが多い。若いころは、「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花(うろおぼえですんません)」の和歌のような国粋主義的なにおいが重ったるくて反発していたのだが、今は悟りの境地にたっしたのか、うきうきと行動範囲にある万博公園や奈良のサクラを見物している。

花見のはじまりは記録的には平安時代の宮中の宴とされるが、万葉集にもそれらしい歌があるし、『源氏物語』にもかかれている ので根は深いことがわかる。しかし、私たち庶民の花見、ボンボリをつるし、ゴザをしき弁当を広げて宴をひらく、という原型は江戸時代後期にできあがったものだろう。

ボンボリ
満開のサクラの見事さは外国でもワシントンのポトマックが有名であるように人を引きつける力があることはよくわかる。しかし、さすがにビニールシートをしいて地べたに座り、乱痴気騒ぎをすることは見ない。最近、インバウンド客が話題になっている観光でも、ITで見るかぎり中国をはじめとした客が多く、吸客力がすごいらしい。それでは、花見の将来はどうなるのか、短期間のうちに一斉に咲き、みるまに散ると言う劇場性を賞するにとど まるのか、それとも(日本人のように)非日常の世界にまで突入するのか。サクラの魔力が効いて後者になるとコワイのだが。

着物を着 た中国
の女の子
(小山 修三)

2016年4月1日金曜日

狩人の肖像画:特別展「夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」から



1790年、蠣崎波響は松前藩のために、前年のクナシリ・メナシの戦いに功績のあった12人の酋長の肖像を描いた。当時の日本人には北の狩猟民に関する情 報がほとんどなく、世の好奇心をかきたてたのだろう、絵は京都にももちこまれ評判をよんで多くの模本が作られている。基本的には実写にもとづいていて描か れた英雄たちは、表情が誇張されているものの、錦の衣服をまとい、アクセサリーをかざり、弓、槍、刀をもって立つ。春木晶子さんは「異容と威容」が強調さ れていると指摘している。*

展示場を歩いていて、アーネムランドでのフィールド調査を思い出した。私は縄文人のような狩人の生活に憧れていて、さかんに写真に撮ろうとしていたのだ が、彼らの忌避感が強くて、断わられることが多く苦労した。その理由の一つは彼らの生活ぶりを写実的に、スナップ・ショットで撮ろうとしていたからだろう と今は思う。格好よく、あるいは威容のある姿でという彼らの思い(それは私たちも同じである)を無視していたことが夷酋列像を見てよくわかった。

その点でいえばP.トウィーディ女史の写真集『This My Country』(1985)の1970年代に撮ったボスたち姿は見事だった。トラクターを運転している像、コーラを手にした娘を肩にのせ銃をもっている 像など構図や表現にこだわっていて、「我らは原始人などではない、現代人である」という主張があらわれている。さすがはプロ、写されることを了とした人々 との緊密な気持ちの交流があってのものだろう。

私のムラのボスだったフランクが獲物のカササギガンを担いだ写真もその一つで、2羽のカモをかかえた夷酋イコリカヤニ像と雰囲気がよく似ていた。狩りのえものは豊かな世界に住むという矜持をあらわすためには重要なものなのだと思った。

(小山 修三)

*特別展図録: 北海道博物館(編) 2015 『Ishuretsuzo, the image of Ezo 夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界―』 発行:「夷酋列像」展実行委員会・北海道新聞社
写真も上記図録から

2016年3月19日土曜日

野鳥から見た里山:150年前の山口県


五島淑子さん(山口大)から研究報告の抜き刷りが届いた。彼女の専門は食物学で、ここ数年は天保12年(1842)に編纂された『防長風土注進案』に書か れた食品を同定し、それをリスト化してデーターベースにするという肩のこる作業をおこなっている。今回は1)農作物・採集品 2)魚類、3)薬品につぐ 4)鳥獣獣類である。将来はこれらの産物がどこで取れたかをインターネットで一般公開し地図に表示できることをめざしているそうだ。
ここでは鳥類に注目して私の感想を述べてみたい。

鳥類は91種(なかにニワトリ、チャボ、アヒルの家禽がふくまれている)で、現在観察されている330種(山口県立山口博物館1987『山口県の野鳥ガイ ド』)とくらべると少ないのは当時の人々と現在の認識法(科学的でこまかい)との差によるものである。記載のうち、キジ、マガモ、ヤマドリ、スズメ、ハト など食されたと考えられるものが多いのは当然である。しかし、鳥類は好みの環境があり、浜辺ではカモメやチドリ、上空をトビ、ハヤブサ、ノスリ。町にはカ ラス、スズメ、ツバメ、周辺の野原や林にはキジ、モズ、ウグイス。水辺にカワセミ、サギ。森にフクロウ、キツツキ。ほかにメジロ、シジュウカラ、サンコウ チョウなど小鳥が意外に細かく分類されているのにも日本人の感性がうかがわれる。


鳥類は環境変化に敏感で急激に数を減らしたり、絶滅にいたることもある。150年以上前の記録でもコウノトリはすでにみえないし、トキは絶滅、ナベヅルは 県鳥として保護された熊毛郡八代にわずかに残るだけである。しかし、その一方で都市的環境に適応して増えすぎるカラスとかハト、(一部では)ウやサギが敵 視されることもある。そういう問題を内包しながら、この時代の人たちは、トリたちと共存していたことを忘れてはならないと思う。私たちの祖先が作ってきた 環境をどうやって守るかが、これからの私たちの仕事だと思う。里山は日本人の心の風景であり、トリはそのシンボルなのだとおもう。

(小山 修三)

五島淑子ほか「『防長風土注進案』の産物記載に見る食品目録(3)」 『山口大学教育学部研究論叢(第1部)』65巻1号
※この論文は、 山口大学学術機関リポジトリより入手可能です。
http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/Detail.e?id=2585620160325162309
をご覧ください。

※写真;万博公園のカラス

2016年3月5日土曜日

アレッポの石鹸



ISの台頭で社会混乱が続くシリア。そのホットな場所の一つにアレッポという町があリます。どこかで聞いた名だと思ったら、風呂場でみつけました。緑の混 ざった茶色の石鹸、自然食品屋さんで買ったそうです。家事にうといので気がつきませんでしたが、知る人ぞ知るものらしい。オリーブと ローレル(月桂樹)オイルを原料として、1000年近い歴史をもっています。

シリアは中東ではごく最近まで平穏な地域で、友人の赤沢威さんはネアンデルタール人を、泉さんはローマ時代の都市を永年掘って大きな成果をあげています。 それもいまは夢。今日買いにいったら、お店の大きな木箱が空っぽになっていました。きっと補給が途絶えたのでしょうね。

梅棹さんは早くから21世紀で問題なのはイスラム圏と喝破していました。しかし、私たちにとって遠い国、歴史や現状もよく理解できていない。人類の叡智を信じて、はやく平和な世界が還ればいいのに、と願うばかりです。


(小山修三)