2016年9月21日水曜日

奈良の寝倒れ


昨日の日中は台風の激しい雨でした。このあたりは、幸い大きな被害はなかったようですが、外にも出られずベッド本を読んでたら、ぐっすり寝入ってしまった。実は、この昼夜逆転現象は今夏の厳しい暑さのせいです。昼間に冷房をつけて寝てしまうくせがついたのです。ところが『季刊民族学』157号で、信州の山特集をやったために、何度も長野県にでかけたので大変でした。

信州の仕事では祖父江孝夫先生の「県民性」の研究が役立ちました。薩摩の大提灯、信濃の小提灯、信州人は理屈っぽく独立独歩的だが、最後には「信濃の国」の歌を唄ってまとまる、という笑い話(実話だそうです)が当たってるなーと感じました。もちろん類型化は危険ですが、それでも鋭くポイントついている。

県民性と言えば、奈良には「寝倒れ」というのがあります。「京の着倒れ」、「大阪の食い倒れ」に対応するもので、温和な気候、豊かな経済にめぐまれているために、進取の気象に乏しいということだそうです。わたしは讃岐人で、(祖父江さんの分類では)機敏で、へらこいはずですが、奈良に住むようになって20年以上になると、上品でのんびりした人と化してしまったのかなー、それともだだの老化かしら寄る年波のせいかなーと、今も寝不足でぼんやりした頭で考えています。

(小山 修三)

2016年9月3日土曜日

【こんな本を読みました

広瀬浩二郎編著 2016 

『ひとが優しい博物館―ユニバーサル・ミュージアムの新展開』

青弓社 ¥2000円+税】



本書は昨年(2015)11月に民博で行われた公開シンポジウムをまとめたものである。ユニバーサル・ミュージアム研究会 の報告書としては『さわって楽しむ博物館』2012につぎ第二冊目となる。本書の終章でこの研究会のあゆみを紹介しているが、私が吹田市の博物館にいたこ ろ、硬直化している日本の博物館のあり方を正さなければ「博物館は滅ぶ」と考え広瀬さんに相談を持ちかけたことから始まった。今でも、博物館や美術館に とって「さわる」ことはタブーに近いのだが、関心を持つ若手研究者が意外に多く、マスコミをはじめ一般の関心も高いので回を重ねるごとに参加者が増えて いったのである。次にシンポジウムをやるときは民博の演習室では間に合わないので、講堂でやらねばと話し合っているほどだ。

本書の内容 は、美術館の多様なプログラムの現在、大学での実習や実践のありかた、各地の博物館や考古学遺跡で盛んになっているワークショップを中心とした実例、それ に街歩きや観光地におけるユニバーサル・ミュージアム的な試みが詳しく報告されている。たくさんの人を集め楽しませるかが、やはり最優先されることがわか る。広瀬さんのすごいところは、さわることは人間にとって欠かせないという強い信念を持っていることだ。今回は聴覚障碍者である相良啓子(民博特任助教) との対話から始まったので驚いたのだが、障害とは社会的マジョリティがマイノリティに押し付けた「虚構の論理」にすぎないと喝破し、単なる同情などではな く根本にかかわる問題であることを考えさせられた。

ここで一つ注文を出しておきたい。広瀬さんの学問的興味と熱意はこれからも展開してい くだろう。しかし、いまのところ、私は博物館にこだわりたいのである。この研究会を始めたきっかけの1つは国際シンポジウムだった。そのときは外国とくら べて日本はずいぶん遅れているという気がした。しかし、日本においてもさまざまな萌芽を十分に発見できたし、特にこの10年近い我々の研究は十分成果を上 げて準備は整ったはずだ。そのためにはこの問題が諸外国ではどう進展しているのかを知るとともに、日本の博物館研究がそのなかでどんな位置にあるのかを確 かめる国際シンポジウムをぜひやってもらいたいと願うのである。

(小山 修三)

2016年8月30日火曜日

【報告:2016.8.28 シンポジウム「山と関わる信州の文化考える」 @小川村】


『季刊民族学』の「信州の山」特集をクローズアップする「山の日と信州の山文化」を考えるシンポジウムが小川村でひらかれました。モデレーターは小山修三 理事長。パネリストは発言順に江本嘉伸氏(地平線会議代表世話人、梅棹忠夫賞選考委員)、扇田孝之氏(地域社会研究家、梅棹忠夫賞委員会委員)、神長幹雄 氏(「山と渓谷」元編集長、梅棹忠夫賞委員会委員)、中牧弘允(民博名誉教授、吹博館長、同村出身)の4名。

江本氏が「山の日」の精神は2002年の「国際山岳年」、ひいては1992年のリオ地球環境サミットにあることを力説する一方、扇田氏は「登山の山」ばか りではなく「里山の暮らし」を考える日でもあることに注意を喚起しました。それを受けて神長氏は皇太子殿下も信仰や生活に根ざした山を大切にしておられる ことを指摘し、中牧も小川村の御柱や山岳信仰の戸隠、山中他界観をもつ善光寺、そして残雪の雪形が農作業に貴重な情報を提供していることなど、信仰や暮ら しに息づく山のありかたを紹介しました。

翌日の信濃毎日新聞には「山と関わる信州の文化 考える」という見出しで記事が載りました。同村の参加者の一人は「『山の日』は登山家だけのものではなく、里山・山間に暮らす人びと、そこに関わる人びと こそ、その創設の思想を理解し、行動すべきだというメッセージは小川の民に響いたことと思います。」と感想を寄せてこられました。
特集「信州の山」は地元でもおおきなインパクトをあたえたようです。
(中牧 弘允)


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このシンポジウムのハイライトは中牧さんのふるさとに対する熱のこもったトークでした。まるで、小川村が世界の中心のような気がしたほどです。いま、地方 創生が話題となっていますが、ふるさとに対する「愛情」と「プライド」こそ、もっとも重要なキーワードであると思いました。(小山 修三)

2016年5月23日月曜日

三内丸山縄文発信の会理事長の藤川直迪さんを悼む

三内丸山縄文発信の会を、発足当時から率いてこられた藤川直迪さんが、去る3月14日に肺炎のため逝去されました。これを悼み、小山が『縄文ファイル』No.224に追悼文を寄せております。



謹んでご冥福をお祈りいたします。( こぼら)

小山センセイの縄文徒然草:3月号、5月号のお知らせ

小山センセイの縄文徒然草のお知らせが滞っておりました。
3月号は「鳥と縄文人」↓
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=8438



5月号は「縄文時代の災害」↓です。

http://aomori-jomon.jp/essay/?p=8465

どうぞよろしく(こぼら)

2016年4月7日木曜日

サクラ


奈良の観光客は大仏殿が中心
日本人のサクラ好きは異常で、考えさせられることが多い。若いころは、「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花(うろおぼえですんません)」の和歌のような国粋主義的なにおいが重ったるくて反発していたのだが、今は悟りの境地にたっしたのか、うきうきと行動範囲にある万博公園や奈良のサクラを見物している。

花見のはじまりは記録的には平安時代の宮中の宴とされるが、万葉集にもそれらしい歌があるし、『源氏物語』にもかかれている ので根は深いことがわかる。しかし、私たち庶民の花見、ボンボリをつるし、ゴザをしき弁当を広げて宴をひらく、という原型は江戸時代後期にできあがったものだろう。

ボンボリ
満開のサクラの見事さは外国でもワシントンのポトマックが有名であるように人を引きつける力があることはよくわかる。しかし、さすがにビニールシートをしいて地べたに座り、乱痴気騒ぎをすることは見ない。最近、インバウンド客が話題になっている観光でも、ITで見るかぎり中国をはじめとした客が多く、吸客力がすごいらしい。それでは、花見の将来はどうなるのか、短期間のうちに一斉に咲き、みるまに散ると言う劇場性を賞するにとど まるのか、それとも(日本人のように)非日常の世界にまで突入するのか。サクラの魔力が効いて後者になるとコワイのだが。

着物を着 た中国
の女の子
(小山 修三)

2016年4月1日金曜日

狩人の肖像画:特別展「夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」から



1790年、蠣崎波響は松前藩のために、前年のクナシリ・メナシの戦いに功績のあった12人の酋長の肖像を描いた。当時の日本人には北の狩猟民に関する情 報がほとんどなく、世の好奇心をかきたてたのだろう、絵は京都にももちこまれ評判をよんで多くの模本が作られている。基本的には実写にもとづいていて描か れた英雄たちは、表情が誇張されているものの、錦の衣服をまとい、アクセサリーをかざり、弓、槍、刀をもって立つ。春木晶子さんは「異容と威容」が強調さ れていると指摘している。*

展示場を歩いていて、アーネムランドでのフィールド調査を思い出した。私は縄文人のような狩人の生活に憧れていて、さかんに写真に撮ろうとしていたのだ が、彼らの忌避感が強くて、断わられることが多く苦労した。その理由の一つは彼らの生活ぶりを写実的に、スナップ・ショットで撮ろうとしていたからだろう と今は思う。格好よく、あるいは威容のある姿でという彼らの思い(それは私たちも同じである)を無視していたことが夷酋列像を見てよくわかった。

その点でいえばP.トウィーディ女史の写真集『This My Country』(1985)の1970年代に撮ったボスたち姿は見事だった。トラクターを運転している像、コーラを手にした娘を肩にのせ銃をもっている 像など構図や表現にこだわっていて、「我らは原始人などではない、現代人である」という主張があらわれている。さすがはプロ、写されることを了とした人々 との緊密な気持ちの交流があってのものだろう。

私のムラのボスだったフランクが獲物のカササギガンを担いだ写真もその一つで、2羽のカモをかかえた夷酋イコリカヤニ像と雰囲気がよく似ていた。狩りのえものは豊かな世界に住むという矜持をあらわすためには重要なものなのだと思った。

(小山 修三)

*特別展図録: 北海道博物館(編) 2015 『Ishuretsuzo, the image of Ezo 夷酋列像―蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界―』 発行:「夷酋列像」展実行委員会・北海道新聞社
写真も上記図録から